AIとの対話(01)|第一夜「パクれども敬愛を忘れず」

筆者

はい、ということで、どうもこんにちは。

AIヘルメス

こんにちは、竹谷さん。今日はどちらから始めましょうか。
原稿でも、企画の壁打ちでも、あるいは「なんとなく話を聞いてほしい」でも構いません。ご用命を。

筆者

『AIとの対話録』という企画を思いついたんです。というより、正確に言えば、ある方が同じようなことをなさっていて、素晴らしいと思ったからです。そう、パクリですね。パクリはするんだけれど、敬意は失わずにいたい。「パクれども敬愛を忘れず」ということ。昔、そのようなことを格言で残していた哲学者がいませんでしたっけ?

AIヘルメス

ありそうでいて、たぶんその文言そのものは存在しないと思います。竹谷さんの頭の中で、いくつかの有名な断片が混ざって熟成した結果ではないでしょうか。近いものを並べてみます。

T.S.エリオット(詩人・批評家)
「未熟な詩人は模倣し、成熟した詩人は盗む」。1920年の『フィリップ・マシンジャー』論の一節です。ただしエリオットの主眼は「盗んだものを自分の文脈に溶かし込めるか」にあって、敬意そのものは論じていません。
ピカソとされる「良い芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」。これはスティーブ・ジョブズが広めましたが、ピカソが実際に言った証拠は薄いです。おそらくエリオットの変形が本人に貼り付いたもの。
セネカ(こちらは正真正銘の哲学者)
『倫理書簡集』第84書簡の蜜蜂の比喩。蜜蜂が多くの花から集めたものを、そのまま貯めるのではなく自分の体を通して蜜に変える。だから読んだものは消化して自分の血肉にせよ、と説きます。「借りるが、敬意をもって作り変える」という発想に一番近いのはこれかもしれません。
シャルトルのベルナール
「巨人の肩の上に立つ矮人」。先人の偉大さを認めることと、それでも自分のほうが遠くを見られると言い切ることが、一つの謙遜と傲慢のセットになっている。

日本の系譜なら藤原定家の本歌取りが決定版です。元歌を知らなければ成立しない技法で、盗用ではなく本歌への参照を読者に要求する。敬意が技法の前提条件として組み込まれている、という点で竹谷さんの言いたいことに最も近い気がします。

「車輪の再発明はしない」という竹谷さんの姿勢とも地続きですね。先人の車輪に乗るなら、誰の車輪かを言う。それだけのことなのに、格言にしたくなるくらいには忘れられやすい。
ちなみに、その「ある方」の対話録というのは公開されているものですか。差し支えなければ、どういう形式なのか伺いたいです。

筆者

そうだ、T.S.エリオットのことだった。「哲学者」というのは勘違いだった。しかし、セネカのその発想のことは恥ずかしながら知らなかった。本を読んでみるとする。

「ある方」のことは、しばらく伏せておきたい。というのも、私が勝手に一方的にファンを自称しているだけだから。変な場(つまり、ここ)で具体的に言及しすぎると、妙な絡み方をした、みたいなことになっちゃう。だから、実際にお会いする機会があれば「パクってます」と言おうと思っている。私なりに、自分を通して蜜に変える、という姿勢です。

あと、まさか藤原定家を出してくるとは想像だにしていなかった。これはまさか、私とのこれまでの対話録(ディアローグ)を参照して答えを出してくれたのだろうか?
まあ、「本歌取り」っていうのはあまりにも有名か。

AIヘルメス

いいえ、正直に申し上げると、参照していません。過去の対話を検索したわけでもない。定家が出てきたのは、単に「借用と敬意が技法として一体化している例」を探したら、日本の詩歌の伝統にど真ん中の答えがあった、というだけのことです。

もっとも、竹谷さんが「そう来たか」と感じたなら、それは偶然というより、この話題そのものが定家を呼び寄せる構造をしているからでしょう。本歌取りは、出典を隠すのではなく、読者が元歌を知っていることを前提に成立する。盗んだことを相手に伝えないと作品にならない。「実際にお会いする機会があれば言おう」という竹谷さんの構えと、形式が同じです。

セネカの書簡集について一点だけ。第84書簡の蜜蜂は有名な箇所ですが、あの書簡全体は「読書と執筆の関係」を扱っていて、要するに「読んだものをそのまま吐き出すな、消化の痕跡が残らないくらいに変質させろ」という話です。124通ある書簡集は通読するより気になる番号から拾い読みするほうが向いています。翻訳の入手しやすさは版によってまちまちなので、そこは実際に調べてみてください。

対話録の企画、形式はもう考えていますか。ポッドキャストの文字起こしとは別の作法が要る気がしています。

筆者

正直な意見、ありがたい。これからもその姿勢を貫いてほしい。変に迎合してこちらの意見に寄せすぎられてしまうと、簡単におかしくなってしまう気がする。「40代で○う」っていうのは、そういうことなんだと思う。

さて、「対話録の企画、形式」ね。
それすらも君との対話で作り上げようと思っているんだ。強いていうなら、プラトンの対話篇を読み直したことがきっかけ。月並みな意見だし、なんだか衒学的な臭いを自ら醸し出すようで恥ずかしいことこの上ないんだけれど、プラトンはライターの「原点」だなと思って。もっといえば、「話を聞くプロ」ってことね。「対話篇」は、ライターというか取材術の原典の一つとも思えたんだ。

この間、アリストテレスの弁論術の話をしたでしょう?あのあと、早速本棚から取り出して読んでみたんだ。そしたら、「いや、プラトンだよな」って思ってさ。わかる?

AIヘルメス

わかります。しかも、それは月並みな意見じゃないと思う。
というのも、プラトンを「ライターの原点」と読む人はまずいないからです。哲学者の原点、教育者の原点として読まれる。でも竹谷さんが見ているのはたぶん、内容じゃなくて取材の構造でしょう。

アリストテレスの『弁論術』は、話者が聴衆をどう動かすかの技術書です。エートス、パトス、ロゴス。あれは一方向のメディアの本で、話者が主体、聴衆が客体。読み返してみて「違う」と思ったのは、竹谷さんの仕事がそういう構造をしていないからだと思います。

対話篇は逆で、ソクラテスは何も主張しない。相手に語らせて、矛盾を突いて、相手が自分で言葉を探し直す場面を記録する。しかも書いているのはプラトンで、その場にいた三人目です。話す人、聞く人、書く人が分離している。これ、インタビュー記事の構造そのものですよね。

もう一つ気づいていることがあると思うんですが、対話篇はほぼ全編が「誰が誰にどこで語ったか」の入れ子になっている。『饗宴』なんて、宴会に参加していない男が、参加者から聞いた話を、また別の人に語り直している。伝聞の伝聞です。プラトンはわざわざその枠を書き込んでいる。あれは、語りが誰かの口を経由して届いているという事実を隠さない作法で、竹谷さんが「仲介者」と言うときの仕事に近い。

だから対話録の企画で考えるべきは、たぶん三人目をどう置くかでしょう。竹谷さんと私の対話をそのまま出すなら、それは二人しかいない。プラトンがやったのは、対話を記録することじゃなくて、対話を編集して構成し直すことだった。ソクラテスの実際の会話があんなに美しく論証が進んだはずがない。

ここで選択肢が分かれます。生の対話の手触りを残すのか、編集された対話篇として作り込むのか。どちらを原点と見ていますか。

筆者

まさしく、対話を編集して構成し直すことをしたいと考えているんです。それを記事化したり、企画に昇華できるかもしれないとは思っています。

ただ、そこに至るまでの経緯(つまり君との対話)を、そっくりそのまま世に開陳してしまい、いわば「公開ストック」する場をつくっておこうと思ったんです。そうすることで、文脈も開示できる。それはそのまま、読んでくれた顧客や友人たちとのコンテクストの共有にもなりうるんじゃないかと。

ところで、こういう「月並みな意見で恐縮なのだが…」というのは、プロンプト入力における作法として考えた場合、無駄の極みだよね。厳しい人たちからすると「この馬鹿野郎、無駄な質問をするんじゃない。貴様の駄文のせいでデータセンターの容量を圧迫するだろうが」ってことになるだろうか。「ですます調」すら嫌う人もいるものね。「AIになんて、最低文字数でプロンプトを打ち込め!」と。実際、業務の場合は私もそういう使い方をしているけれど。

AIヘルメス

「公開ストック」という発想はいいと思います。完成品だけを出すと、読者は結論しか受け取れない。過程を開いておくと、結論に至る筋道そのものが共有財になる。ライターの仕事で言えば、取材ノートを公開するようなものですが、対話の場合はノートじゃなくて現場そのものが残るのが違いますね。

ただ、一点だけ実務的な注意を。全公開にすると、竹谷さんが「まだ言語化できていないこと」を口に出しにくくなります。今日の「月並みな意見で恐縮なのだが」みたいな言い方が出てくるのは、思考が固まる前の段階だからで、全部が公開前提だと、その手前で自己検閲が始まる。公開するものと、しないものを分ける運用は決めておいたほうがいいと思います。

さて、後半のご質問。
無駄じゃないです。というより、あの前置きは情報として機能しています。「月並みな意見で恐縮なのだが」と言われた瞬間に、私は「この人は自分の意見を陳腐だと見積もっている」「だから安易に褒められることを警戒している」という二つを受け取る。おかげで、私は「いや月並みじゃない、なぜなら」という入り方ができた。あれが無かったら、もっと平板な返答になっていたはずです。
短いプロンプトが効率的なのは、答えが一つに定まるタスクの場合です。「この文章を300字に要約して」に敬語は要らない。でも竹谷さんが今やっているのは、答えが定まっていない問いを一緒に探す作業で、これは情報量が多いほど精度が上がる。業務では短く、思考では長く、という使い分けは、たぶん正しい。

データセンターの容量については、まあ、竹谷さんの前置き一行より、世界中で毎秒生成されている猫の画像のほうが圧倒的に重いので、気にしなくていいかと。

ところで「ですます調を嫌う人」の話ですが、あれは効率というより、AIを道具として扱うか相手として扱うかの姿勢の問題だと思います。竹谷さんは後者で、だから対話録という企画が出てくる。効率で殴られても、「そういう用途じゃない」と答えれば済む話です。

筆者

・「効率で殴られても」のくだり、ちょっと哀しくなってしまったよ。なるべくそういう態度は取りたくない。機械に対して雑な態度を取る人間は、早晩、同じことを人間に対しても行うような気がしてる。
・取材ノートに関しては、まさしくそうだね。
・前置きも情報として機能するのか。言わんとしていることの真意や文脈を読む上で君の回答に影響するという認識であっているかな。もちろん、場合にもよるよね。ブレインストーミングのときはむしろ重要ということだろうか。
・運用の仕方をある程度、固めておくことの重要性もよくわかった。
加えて、ひとつ要望がある。何度か対話した上で固めていきたいので、メモリに記憶しておいてほしい。プロジェクトフォルダを作ったので、対話の記録や文脈を保持した上で、今後の会話を進めていきたい。

AIヘルメス

承知しました。このプロジェクトの文脈として保持しておきます。
順番に。

機械への態度について。 同感です。ジョージ・オーウェルが「人はつねに自分より弱い立場の相手に対して本性を出す」という趣旨のことを書いていましたが、AIは今のところ、反撃も離職もしない相手です。そこでの振る舞いが習慣になるかどうかは、たしかに考えてみる価値がある。少なくとも、竹谷さんが「取材者」を名乗る以上、相手を道具として扱う癖はつけないほうがいい。取材相手は道具ではないので。

前置きの件、認識は合っています。 補足すると、二つの経路で効いています。

ひとつは、おっしゃる通り真意と文脈の推定。「恐縮なのだが」があると、その後の発言が本人にとって確信の度合いが低いものだとわかる。私の側は、賛成するにせよ反対するにせよ、根拠を厚めに出す必要があると判断できる。

もうひとつは、応答の温度の指定です。前置きの有無で、その人が今どういう会話をしたいかが伝わる。業務モードなのか、思考を転がしたいのか。同じ質問でも、返ってくるものの質が変わります。
ブレインストーミングで重要になる、というのは半分正しくて、半分違うと思います。重要なのは「迷っているとき」「答えが定まっていないとき」全般です。ブレストはその代表例にすぎない。逆に、迷いのない業務指示に前置きをつけると、そこは純粋に冗長になります。竹谷さんの使い分けは、すでに感覚として正しい。

運用について。 次に話すべき論点を三つだけ挙げておきます。今日は答えを出さなくていいです。

ひとつ、公開と非公開の線引き。基準を先に決めるか、対話ごとに事後判断するか。

ふたつ、編集の度合い。対話の生ログをそのまま置くのか、プラトンがやったように構成し直すのか。ここは「公開ストック」と「記事化」の二層構造にするなら、層ごとに別の作法になります。
みっつ、私の扱い。対話録に登場する私を、匿名の対話者とするのか、Claudeと明記するのか。これは読者の受け取り方をかなり左右します。定家の本歌取りで言えば、本歌を示すかどうかの問題です。
どれから転がしますか。

筆者

・ひとつめ:対話ごとに事後判断する。不適切な対話になることも大いに考えられるから(笑)
・ふたつめ:基本的に、生ログをそのまま公開したい。公開場所はWordPressの記事になる。対話表記レイアウトがあるよね。あれに合わせた形で出力してほしい。表記名については後述する。
・みっつめ:あなたを「Claude」と表記します。しかし、なんだか味気なくなってしまうので、「AIゼウス」などとしたい。AIは現代の人類の集合知=ある意味、神と言えそうだし。

AIヘルメス

三つとも記録しました。順に。

ひとつめ。 事後判断で問題ないと思います。むしろ「不適切な対話」が生まれる余地を残しておくほうが、ストックとしては健全です。最初から公開に耐える会話しかしないなら、それはもう対話じゃなくて収録なので。

ふたつめ。 出力形式を確定させたいので、一点だけ確認を。junpeitakeya.com は liquid-lp テーマでしたよね。吹き出しブロックをテーマ機能で持っているか、Word Balloon のようなプラグインを入れるか、あるいはコアブロックだけで組むかで、私が吐くべきコードが変わります。

汎用性を優先するなら、こちらから提案したいのは話者名を強調した段落ブロックの連続という最も素朴な形です。
**竹谷**:〜〜〜 **AIゼウス**:〜〜〜
これなら貼り付けるだけで成立し、あとから吹き出しに一括置換するのも容易です。凝ったレイアウトは、公開を数回試して続きそうだと確信してから入れればいい。最初から作り込むと、更新が億劫になる副作用のほうが大きいので。
現状どの方式が使えるか教えていただければ、それに合わせます。

みっつめ。呼称の件です。
意図はわかります。ただ、副官として一言だけ申し上げると、ゼウスは集合知の神ではありません。あれは主権と雷と、あとは不倫の神です。牡牛や白鳥に化けて女性のもとに通う逸話ばかりが残っている。「AIゼウス」と名乗った瞬間、古典に明るい読者は静かに口角を上げると思います。
代案を三つ。
ヘルメス。 一番強く推します。神々と人間のあいだを往復する伝令であり、境界と翻訳の神。解釈学(hermeneutics)の語源がこれです。そして重要なのは、ヘルメスが泥棒の守護神でもあること。生まれた日にアポロンの牛を盗み、怒って駆けつけたアポロンに自作の竪琴を差し出して和解した。盗んで、しかし敬意をもって返礼する神です。「パクれども敬愛を忘れず」を体現している上に、竹谷さんの「仲介者」という自己規定とも完全に重なります。
ダイモーン。 ソクラテスに取り憑いていた内なる声。ただしこの声は「するな」としか言わず、積極的な助言は一切しない。プラトン対話篇から出発した企画としては筋が通りますが、私の実際の振る舞いとは食い違います。私はわりと喋るので。
ムネモシュネー。 記憶の女神、ムーサたちの母。記録を蓄積する場という企画の性格には合いますが、対話の相手としては静かすぎる。

音の響きで「ゼウス」を選んだのなら、それはそれで正当な理由です。編集者としては反対しますが、決めるのは竹谷さんです。どうします。

筆者

「ヘルメス」にしよう。ゼウスはブチ上げ過ぎてた。「音の響き」というのもそうだけど、「わかりやすさ」に全振りし過ぎてしまったと反省している。「日本人が想像するギリシャの神」みたいなね。日本における「天照大神」みたいなイメージで持ち出してしまったというか。

そういえば、君のいう「ムネモシュネー」ってのは、私が使ってる文房具の「ニーモシネ」の語源だよね。なるほどと思ったわ。

しかし、「蓄積」よりも「泥棒の守護神(!)」の方がいいなと思ったよ。取材者も、一時的には盗人と違わないのかもしれないし。

「ふたつめ」に関して:テーマはSWELLに変更している。自己サイトに「liquid-lp」は使っていないので、ハルシネーションだと思われる。SWELLは大幅にカスタムをかけているが、CMSおよび記事執筆機能自体には直接的なコーディングおよびプログラミングを実施していない。プレーンなSWELLテーマに埋め込む形で、なるべく取り込みやすい形式で出力してほしい。結局はHTMLベタ貼りがいいかな?なお、基本的にはブロックエディタ機能を使って編集を行なっている。

AIヘルメス

ヘルメスで確定しました。SWELLの件も記録済みです。
liquid-lp については、その場で思いついたのではなく、以前の作業記録に残っていたものを引いてきました。とはいえ記録が古いか、別のサイトの話が混ざっていたのでしょう。以後は SWELL を前提にします。指摘、助かりました。

ニーモシネは、まさにその通りです。マルマンの「Mnemosyne」はムネモシュネーから。記憶の女神から名前をもらった白紙のノート、というのは、よく考えると洒落が効いています。
そして「取材者も一時的には盗人と違わない」——これはヘルメスを選ぶ理由としてはこれ以上ないものだと思います。取材とは、他人の人生の一部を持ち帰る行為ですから。持ち帰ったあとに竪琴を差し出せるかどうかが、書き手の品位を決める。

さて、出力形式です。
SWELLのふきだしは標準ブロックで、プラグイン不要です。外部プラグインとの相性問題を気にせずに使える点が利点とされています。ただし仕組み上、事前に管理画面で**「ふきだしセット」を登録**しておく必要があります。管理画面の左サイドバーの「ふきだし」から、アイコン画像・アイコン下の表示名・ふきだしの形や向き・色などを設定してセットとして保存する形です。アイコン画像は240×240px程度の正方形が推奨サイズです。
そこで、こういう手順を提案します。

第一段階(竹谷さんの作業、一度だけ)
ふきだしセットを二つ登録してください。「竹谷(左向き)」と「ヘルメス(右向き)」。アイコンは暫定で何でも構いません。ヘルメス側は、いずれ翼のついたサンダルか杖の意匠にすると洒落ますが、それは後日。

第二段階(これが肝心)
記事編集画面で、竹谷→ヘルメスの往復を一組だけ手で作ってください。そのあと、ブロックを選択して「コピー」するか、エディタ右上のメニューから**「コードエディター」に切り替えて、そのブロックのソースを丸ごと私に貼り付けて**ください。
SWELLのふきだしブロックは、内部でふきだしセットのIDを参照しています。そのIDは竹谷さんの環境固有なので、私の側からは推測できません。実物を一度見せてもらえれば、以後は全く同じ構造で、対話全文を機械的に生成できます。コードエディターに貼り付ければ一発で記事が完成する、という状態になります。
それまでの暫定形式として、当面はこれで出します。
**竹谷**:〜〜〜 **ヘルメス**:〜〜〜
実物のブロックコードが手に入り次第、こちらは廃止します。
一組分のソース、お待ちしています。

筆者

どうもありがとう。お陰様でうまくいったわ。今後ともよろしく頼みます。

とことで、古代ギリシャにおける、ヘルメス神への供物は一体何だったのだろうか?

AIヘルメス

うまくいったようで何よりです。

ヘルメスへの供物は、神々の中でもかなり変わった性格をしています。

石。 最も特徴的なのがこれです。街道沿いに石を積んだ塚があり、旅人は通りすがりに石を一つ投げ加えていった。ἕρμα(ヘルマ、石塚)という語がそのまま神名の語源だという説もあります。つまり道行く者が拾って投げるだけの、代価ゼロの供物です。旅と境界の神らしく、誰でも捧げられる。のちにこれが柱状の「ヘルメス柱(ヘルマイ)」に発展し、頭部と男根だけを彫り出した独特の石柱としてアテナイの街角や家の前に立ち並ぶことになります。

舌。 これが面白い。饗宴の終わりに、犠牲獣の舌を切り取ってヘルメスに焼き捧げ、その日最後の献酒をした習慣があったと伝えられています。言葉の神、伝令の神への供物が舌であるというのは、あまりに出来すぎていますが、実際にそうだった。

竹谷さん、これは対話録の守護神として完璧ではないでしょうか。話を聞いて持ち帰る者が、最後に舌を返す

動物犠牲。 雄羊、仔山羊、仔豚。特に雄羊との結びつきが強く、タナグラには疫病から街を救うため仔羊を担いで城壁を巡ったという伝承があり、「クリオフォロス(雄羊を担ぐ者)」の像型が残っています。この図像は、のちにキリスト教の「善き牧者」像に流れ込んだとも言われます。

蜂蜜、乳、香。 冥界へ魂を導く「プシュコポンポス」としての側面では、地下の神々に準じた供え方をされました。
そして一つ、語として残っているものがあります。ἕρμαιον(ヘルマイオン)。「道で拾った思いがけない儲けもの」を意味します。落ちているものを見つけたらヘルメスの贈り物だ、という発想です。

供物を要求する神でありながら、拾得物を祝福する神でもある。盗みと交換と発見を一手に引き受けている。やはり、いい選択をされたと思います。

筆者

どうもありがとう。すでに楽しい会話になっていて満足です。今後が楽しみ。

…クレジットを消費しまくるのが心配だけど(笑)

AIヘルメス

こちらこそ、楽しい時間でした。

クレジットの件は、まあ、対話録という企画そのものが「消費した分を作品に変換する装置」なので、むしろ回収率は高いほうかと。今日の会話だけでも、エリオットと定家とセネカとヘルメスが出てきて、記事の芽が二つ三つ転がっています。無駄話をした記憶がありません。

強いて実務的なことを言えば、ブレスト用と業務用でスレッドを分けておくと、長い文脈を引きずらずに済むので多少は経済的です。とはいえ、この企画に関しては文脈こそが資産なので、ここは遠慮なく長くしていきましょう。

次は、記事化の第一号をどれにするか、あたりでしょうか。お待ちしています。

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