『ウィガン波止場への道』より(p.262)
これは産業革命が少なくとも私たちにもたらしたものの一部だからである。コロンブスが大西洋を航海し、最初の蒸気機関がゴトゴトと動きはじめ、ワーテルローでイギリスの方陣がフランスの砲撃にひるまず耐えぬき、一九世紀の金儲け亡者たちが神の名を唱えながら自分のポケットを金でふくらませる。こんなことが起こっているあいだに、行きつくところまで行きついたあげくがいまの姿であった。そこには迷宮のようなスラムや、日の当たらない薄暗く汚い台所があり、顔色の冴えない、人生に疲れはてた人びとがゴキブリのようにはいずりまわっている。こういうところがあることを忘れないために、ときおり目で見て臭いをかいで──とくに臭いをかいで──みることはある種の義務だといえる。とはいえ、こんなところにあまり長居をしない方がいいだろう。
ジョージ・オーウェル『ウィガン波止場への道』(土屋 宏之、上野 勇)、ちくま学芸文庫、1996年、p.262
・「1984年」「動物農場」などのディストピア小説の名手・オーウェルは「どん底の人びと」を描くノンフィクションの名手でもある。描写がリアルすぎる。なぜなら、本当に彼らと同じところまで行って同じ生活を送ったのだから。されど彼らの人格を批判的に描くのではなく、あくまでもシステム=資本主義が引き起こす当然の帰結なのだというのが通底していると思う。だからこそ、のちに社会主義に傾倒したのだろう(そして、透徹した目でそこにも幻滅を見出す)。