「単独飛行」

「卒業したら社会に出て、遠くて素敵な場所に行きたい」

「ロアルド・ダール」と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは「チャーリーとチョコレート工場」「マチルダは小さな大天才」のような児童文学作品かもしれない。しかし、ダールにはもう一つの顔がある。それは、第二次世界大戦でパイロットとして戦った経験を持つ、勇敢な男という顔だ。彼の自伝「単独飛行(原題”Going Solo”)」は、著名児童文学作者としてではなく、一人の人間として、彼が経験した戦争の現実と、その中で見出した人間の強さを、ユーモアとペーソスを交えて描き出す。

物語は、ダールが18歳でシェル石油会社の社員としてタンザニア(当時はタンガニイカと呼ばれていた)に赴任するところから始まる。慣れない異文化での生活や、雄大なアフリカの自然の中で、ダールは人生経験を積んでいく。タンザニアでの日々は実に生き生きと描写されていて、抜群におもしろい。猛獣や巨大蛇の登場など、雄大なアフリカの暮らしを取り上げるエピソードはどれも印象的だ。本書の裏表紙には「卒業したら社会に出て、遠くて素敵な場所に行きたい」というダールの言葉からはじまっている。前半は、その願いが叶った青年の喜びに満ちた毎日が続く。大自然のことだけでなく、当地が英国(と、その前はドイツ)の植民地であったことも言及している。

志願して空軍パイロットに

しかし、そんな日々は長くは続かなかった。第二次世界大戦の勃発は、彼の運命を大きく変えることになる。戦争開始の報に接すると、ダールはイギリス空軍(RAF)に志願し、パイロットとして過酷な訓練の日々を送ることになる。

複葉戦闘機グロスター・グラディエーターを駆り、北アフリカやギリシャの激戦地へと飛び立つダール。彼は、度重なる飛行任務の中で、想像を絶するような危険な状況に身を投じていく。命知らずの作戦や、軍隊組織の不条理さに直面しながらも、ダールは持ち前のユーモアと冷静さを失わない。彼のユーモアは、決して悲惨な現実から目を背けるためのものではない。それは、過酷な状況下でも人間らしさを保ち、希望を捨てまいとする、ダールの強い意志の表れなのだ。 

ギリシャではハリケーン戦闘機に搭乗していた。ホーカー社が手がける単葉戦闘機で、バトル・オブ・ブリテンでもドイツ空軍と激闘を繰り広げた名戦闘機の一つである(この頃から「戦闘機」というと単葉機になってくる。それまでは複葉機で粘っていたのだ…)。しかし、ギリシャに到着した時点でダールは、わずか数時間しかこの機を操縦したことがないという有様だった。信じられないが、そうしたパイロットがたくさんいたのだ。

それでも新たな愛機ハリケーンに乗り込み、侵攻してくるドイツ空軍の爆撃機を邀撃(ようげき)する任務に就く。私は、このシーンに最も感銘を受けた。空戦の描写が非常にリアルなのである。実に克明に書かれているのだ。実際に体験したことなので当たり前といえばそれまでだが、こういった描写のリアルさにも職業作家(プロ)の凄さを見た思いがする。淡々とした文体で記述すれば、ふつうは戦闘詳報みたいになる。しかし、そうはなっていないのだ。臨場感が尋常ではない。航空機モノとしても実に優れた読み物だと思う。

狂気の中で正気を保つ人の強さ

このシーンで私が最も感銘を受けたのは、ダールの「人としての在り方」が垣間見られたことだった。

まだ本書を読んでいない人の楽しみを奪わないために(そして著作権を侵害しないために)、詳細をまるまる転記することはしない。この場面における筆者の態度は、「戦争とは?」「極限状態における人の思考」などを考える上で、とても大切な場面だと思う。

この場面は、本書のハイライトシーンの一つだと思う。しかし、一切、説教じみたことを書かないのだ。とにかく淡々と記述されている。

本書の魅力は、戦争の悲惨さを描きながらも、決して暗く重苦しいだけではない点にある。ダールは、無謀な作戦や軍隊の不条理さを、皮肉を交えたユーモアで描写することで、むしろ読者を惹きつけ、戦争の真実をより鮮明に浮かび上がらせているようにみえる。

例えば、航続時間が1時間半しかない戦闘機で4時間かかる距離を飛べと命じられるなど、無茶苦茶な軍の命令を、ユーモラスかつ淡々と描写している。ある出来事がきっかけで頭部に重傷を負い、失明の危険にさらされながらも、彼は状況を冷静に受け入れる。

身のまわりのいたるところに戦争があって、わたしを乗せた危険な小型飛行機が爆音高く上昇し、墜落し、火を噴いた世界では、命はもとより、失明などもはやさして重要なことではなかった。爆弾が雨のように降りそそぎ、弾丸がでは、危険を受けいれ、すべての結果をできるだけ冷静に受けとめる生き方しかできなかった。悪あがきは一文の得にもならなかった。(ロアルド・ダール『単独飛行』早川書房、2000年、p144)

なお、本書のあとがきは宮崎駿氏が書いている。その中で「泣き言が書かれていない。一人の人間がいま戦争という狂気の時代にぶつかっているということを描いている」というようなことを述べている。さらに、狂気の中にあって、正気を保ち続ける人(ダール)の強さを「羨ましい」とも書いている。このあとがきを読んだ時、ストンと腹に落ちる感覚があった。

戦争というものを狂気ととらえて、狂気の中に自分たちがいるということをはっきりと認識している。その中で、狂気の中に正気でいることの大事さを、ファナティックに熱狂するわけでもなく、とにかく自分自身で有り、正気であるということが描かれています。そういう強さは、羨ましいというしかありません。(前掲書、p271-272)

厳密にいうと「飛行士たちの話」についての話だが、本書からもこのことは強く感じられる。

「ほんとうにカッコイイ男」とは

本書が出版されたのは1986年のこと。以来、時代を超えて多くの人々に愛され続けている。それは、ダールの物語が、戦争という極限状態だけでなく、私たちが日常で直面する困難や試練にも通じる、普遍的な人間の強さと希望を描いているからなのかもしれない。

残念なことに昨今は、戦争が遠い過去の出来事ではなくなってきた。そうした中で「正気」を保つことの尊さを持ち続けないといけない。だからこそ何度も本書を読み返している。

なお、原題は「GOING SOLO」である。ここにも彼特有のセンスがあらわれていると思う。彼は、究極の個人主義の人なのだ。空軍に志願して狂気の世界に自ら突っ込むのも、それを引き受けて正気を保ち続けるのも、すべて彼の選択なのだ。狂った作戦や、愚かな軍隊などに対する愚痴や恨み節などは一切ない。英国人なので、皮肉はもちろんある。

あくまでも自分一人で自らの人生に責任を持ち、歩んでいくこと。できるようでなかなかできない。

「紅の豚」のキャッチコピーは「カッコイイとは、こういうことさ。」だった。あの作品が描いているのは、ポルコ・ロッソという男の生き様である。彼もまた、究極の個人主義の人(キャラクター)だった。紅の豚とダール。実に深いところでつながっているんだなあ、などと思った。

そういえば、この本と「飛行士たちの話」の原著が我が家にあったはずだが、見つからない。。

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