「パリ・ロンドン放浪記」(ジョージ・オーウェル、岩波文庫)

オーウェルの作品の中で私が好きなのは、ルポだ。中でも最も好きなのが本作である。

英領インド帝国の植民地警察官としてビルマ(現在のミャンマー)に勤務したのち、1927年から3年間をパリとロンドンを放浪して生活していた。スペイン内戦に赴き、著者の代表作のひとつ「カタロニア讃歌」を書き上げる前のことだ。

パリでは某高級ホテルの厨房で皿洗いをしながらドヤ街に身を寄せ、背広やスーツケースを質に入れ、生活費を捻り出しつつその日暮らしを送る。英国に帰国するも、仕事のアテが外れ、ロンドンのスパイク(浮浪者向け簡易宿泊所)を転々とする日々を送る。それを克明に描いたルポが本作だ。

臨場感がとにかく尋常ではない。自分がまるで、その場に放り込まれたかのような感覚を覚える。汚れたシーツ、壁には南京虫の大行進…。入った途端にむっとする悪臭が漂う、不潔極まりない部屋に、まるで自分も放り込まれたかのような錯覚を覚える。

私もホテル勤務(厨房・ウェイター)に勤めたことがある。衛生環境ははるかにマシだが、仕事の過酷さの描写については、まるで現代かと錯覚するほどだ。

そして同じく、私も貧乏生活をしたことがある。それも、極貧に近い生活だ。寝床の確保の重要さ。空腹がいかに人の精神を蝕むか。この本には「実際にあのどん底を味わった人間にしか書けないだろうな」という表現がいくつもあった。

なかでも興味深かったのは、服装の描写の数々だ。とくに、ランベスの古着屋を訪れたシーン。貧困がどのように人の心に影響を与えるのかを、最もリアルに表現しているのではないかと思う。

それから1時間半後にランベスを歩いていたわたしは、あきらかに浮浪者とわかるおどおどした男がこっちへやってくるのを見かけたが、よく見れば、それは店のウインドーに映った自分の姿だった。顔には、すでに汚れがつきかけていた。汚れというのはじつに人を選ぶものだ。いい服装をしているときには寄りつかないのに、襟からカラーが消えたとなると、とたんに四方八方から飛んでくる。(p.172)

最終的に心に残ったのは、他者に対する筆者の誠実さだった。登場人物は、本人含め、正直言ってどん底を這うように暮らす人間たちばかりだ。彼らを、これでもかというほどリアルに描写するということ。そこにあるのは、憐れみではなく、知りたい、理解したいという思いがあったからなのではないだろうか。

むしろ、真に憐れみを感じていたら「書かない」「ここまで克明に表現しない」ということになるのではないか。

なお、この本は日本語訳もとても良い。岩波文庫だからと警戒する人もいるかもしれないが(当初、私もそうだった)、とても読みやすい。

そして、読み物として抜群におもしろい。