
三船敏郎が好きだ。
祖父や親戚のおじさん達を介して、半ば強制的に黒沢映画を観せられてきた私は、ことあるごとに三船敏郎出演作を観かえしてきた。
ある日、彼と外国で思わぬ邂逅を果たしたことがあった。
わたしが初めて海外に行ったのが15歳の時、アメリカはカリフォルニア州だった。ホストファミリーのお父さん(Dadと呼んでいた)から「日本の男、というと、トシロー・ミフネが真っ先に思い浮かぶ」と言われ、三船映画を米国の地で鑑賞させてもらったことを、なぜかここ最近、思い出していた。
YouTubeなど存在すらしなかった頃だ。
庭でのBBQパーティーが落ち着き、屋内への移動を促された私。
「レセプションパーティーの二次会だ」
そう言ってDadは、大きな居間に私を案内してくれた。
そこには、ソニー製の大きなテレビと、大きなスピーカーシステムが置かれていた。
棚に収納されていたレーザー・ディスクを丁寧に取り出し、プレイヤーに取り込み再生する。
収納ボックスには「用心棒」とある。タイトルに添えられた英語も「Yojinbo」だった。
英語字幕が表示される日本映画というのを、人生で初めて体験したのだった。
外国の地で、外国の人とともに観る三船映画。
絵に描いたようなザ・アメリカンなリビングルームに日本語が響き渡る異様な光景。
日本人俳優による壮絶な殺陣に声を上げ、名演に涙する壮年のアメリカ人夫妻。
後にも先にも、このような経験をしたことがない。
「日本家屋で観る映画」という固定観念が吹き飛ばされ、
滞在は短く、たしか1泊で終えたと記憶している。
短い滞在時間のなかで、ミフネの話から、Dadがずっと剣道を学んでいること、日本の精神性に深く共感しているという話になった。当時の私は、原爆を落とした国の人間などどこかおかしいのだ、とすら考えていた。自分の狭すぎる視野にものすごく恥ずかしい思いをしたことを今でも思い出す。そのことを勇気をもって話すと、悲惨な思いをした人々への哀悼の念を忘れてはならないとしたうえで、「今は良き友人だ」と彼らファミリーは話をしてくれたのだった。
「おまえさんも、ああいう男を目指せよな」と、Dadは私の頭に手を置いて送り出してくれたのだった。「大事なのは、心だ。自分の心だぞ」。
外国の地で観たからか、急に「昭和の大俳優」という、自分の人生軸の遥か外にあるような人物像が、急に自分の方へと近づいてきたかのような心地がしたのだった。
私があのホストファミリーのもとを辞去し、帰国した数週間後、911が起きた。
その後の世界は激変という言葉では片付かぬほど変容してしまったように思える。
テレビをつけると、歌番組にはツルンツルンの美しい顔をした男子が映っている。流麗なダンスを踊り、美声を響かせる。聞けば韓国のボーイズグループらしい。その後に出演した日本のグループも、同じような出立ちをして、同じく強度の高い、素晴らしい踊りを披露していた。
先日訪問した新宿の某企業ビルの男子トイレでは、どこぞのブランドのファンデーションが良い悪いの話に若手男性社員達が花を咲かせていた。高校生時代に母親と一緒にわざわざ韓国まで出かけて顔のどこそこを美容整形を行なった、という話も漏れ聞こえてきた。
どうも彼らを現実感をもって見ることができない自分を発見した。
もちろん、彼らの制作物としてのクオリティ、完成度は素晴らしい。並大抵ではない努力をしてあのステージに立っているのだろう。制作陣の作り込みようも半端なものではない。
若手男性社員たちもみな素晴らしい人柄で、文句の一切ない良い男子達であった。
しかし、どうも自分が生きている今がわからなくなってしまった。いま自分が居るのは、いったい、いつの時代でどこの国なんだろうか?と脳みその奥底が混乱してしまった。
スキンケアなどという概念がそもそも存在しない/そうした概念の介入を許さないかのような肌に、延びっぱなしの眉毛、顔面の半分を覆う髭面。
ぶっきらぼうで、低くも朗々とした声。
妙な横文字を弄せず、簡潔に堂々と語る男。
少々野蛮かもしれない。しかし人生の何たるやを達観した「大人」。
そうした要素を全身から醸し出している存在。
もちろん、どちらが良い悪いの話ではない。
猫と犬の違いなのかもしれない。
時代の好み、要請もある。
今後もきっとわからないのだろう。
ひとつだけわかったことがある。
思えば、祖父や剣道の師匠、親戚のおじさんら、わたしは三船敏郎然とした大人な男たちに囲まれていたのだと、最近気がついたのだ。実際に戦争に出かけて実際に命のやり取りをしてきた人々であった。刀で切り結ぶ代わりに、戦闘機でドッグファイトをやり、高角砲や機関銃で撃ち合った人々であり、何とも言えない近寄りがたさと、裏腹のやさしい魅力に溢れた男達だった。
カリフォルニアのDadも先日亡くなってしまった。後から知ったことだが、Dadもまた、太平洋の戦場で親戚を数人亡くしていたのだった。
みんな、鬼籍に入ってしまった。
三船敏郎は、あの時代を生きた、否、生き抜いたおとこたちの姿を投影した人物像でもあったのかもしれない、と思うことがしばしばある。
「侍」というか「おとこ」がいなくなりつつある世界なのかもしれない。
だからこそ、恥ずかしげもなく悪事に手を染める為政者が蔓延るのだ、というのは言い過ぎだとしても、ちょっとおかしいだろうという物事が多すぎる気がする。姑息で馬鹿な戦さを起こす連中も出てくるのだろう。馬鹿が馬鹿をモデルケースに学んでいるようにも思えてくる。
鏡に映る男もまた、そうした面構えには程遠いと思う。
精進しないと黄泉への橋を渡った後、彼らから滅多打ちにされてしまうなと震えていたら、高熱が出て数日寝込んでしまった。申し訳ございませんでした。
Forge Yourself in the Way.
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