グレービー・ソースとアヒル肉、そして革命。日本でみかけた、終わらぬ伝統芸能。

外国人A「…Oi, mate, tell me somethin’—who do ya zink taught you lot ‘ow to cook and speak, eh? Oh wait, lookin’ at ya, seems like you didn’t master either!

(おい、なぁ、誰が料理としゃべり方を教えてやったと思ってんだ? あぁ、でもよく見たら、お前らどっちもモノにできてねぇな!)」

外国人B“Oh, sod off, mate. At least our food don’t make people wanna start a bloody revolution outta frustration!”

(あぁ? ふざけんなよ、お前んとこの飯みたいに、あまりの不満で革命起こしたくなるほどじゃねぇよ!)

外国人A“Ha! Funny guy, eh? But let’s be real, mate—French food’s an art. Your lot? Just keepin’ the boiler runnin’.”

(ハッ! 面白ぇな。でも正直言ってな、お前んとこの食いもんは、ただの燃料補給だろ。こっちのは芸術なんだよ。)

外国人B“Art, you say? Then why is it every time I go eat with you posh gits, all I get’s a massive plate with a bite-sized bit in the middle? What, I gotta bring me own chips just to survive?!”

(芸術だぁ? だったらなんで、お前らと飯食うと、バカでかい皿のど真ん中に、一口サイズのちっこいもんがポツンと乗ってるだけなんだよ? 何だ、俺、自分でチップス持ち込まねぇと飢え死にすんのかよ?)

外国人A“Pffft, zat’s coz we actually got taste, bruv. We don’t drown everythin’ in gravy just to make it edible.”

(プッ、それはな、俺らにはちゃんと味覚ってもんがあるからだよ、相棒。お前らみたいに、なんでもグレービーなんとかでびしゃびしゃにしねぇと食えねぇわけじゃねぇんだよ。)

外国人B“Yeah, yeah, whatever helps ya sleep at night, mate. Just don’t expect me to pay twenty quid for a tiny bit of duck smeared in sauce.”

(はいはい、好きに言えよ。でも、なぁ、お前んとこのちっせぇアヒル肉にソースちょっと垂らしただけのやつに、20ポンドも払う気なんてねぇからな。)

外国人A“Tsk, you uncultured sod.”

(チッ、お前はほんとに教養ねぇな。)

外国人B“Right back at ya, ya posh git.”

(お前もな、気取ったバカたれが。)

先日、国内有数の人気観光スポットで実際に聞いた外国人同士のやりとりである。お気づきのあなたは鋭い。Aはフランス人で、Bはイギリス人である。

おそらくBはロンドン東部出身者、Aは、Bが住むその近辺に暮らすフランス出身の英国在住者なのではないだろうか。

もっとも、逐一メモしておいたわけではなく、頭の中に残る、欠けた記憶の再現を試みたので、多分に誇張も含まれるし、フランス人の方は母国訛りがなかなかで、ところどころうろ覚え。が、大筋ではこのようなやりとりだったと思う。あと、私の意訳も多分に含まれるが悪しからず。「Just keepin’ the boiler runnin‘」などは、ここだけ直訳するとまったく意味不明になる。また、「bloody…」などの箇所は、実際にはもっと過激な言葉(Swear words)で話されていた。

さて、このやりとりを聞いた時、私は、あることを行なった。周囲にカメラがないか探したのだ。ドラマか何かの撮影をしているのかと思ったのだ。それほどキャラクターが強烈だったのである。とくに英国人。NetflixやApple TVあたりのオリジナルドラマに出てくる、英国の労働者階級の英語そのものだったのだ。

カメラは無かった。これは撮影などではなく、目の前で繰り広げられているのは一般の観光客同士の会話だったのである。

私は「実際にこんな会話をする一般人が存在するのか」と思った。

日本の街角で「グレービー・ソース」「アヒルの肉」などという英単語を聞く機会はいままで無かった。

「革命的に(revolutionary)」はオーバーな表現をする人が口癖のように使うのを目撃したことがあるが。

日本のど真ん中で、英仏の歴史的ライバル関係を体現するかのような言い合いが繰り広げられていたのだ。

この短いやり取りだけで、まるで映画のワンシーンのような雰囲気を醸し出していた。フランス人が皮肉を交えて挑発し、イギリス人がさらなる皮肉を添えて応戦する。まさに「お約束」の構図だ。

英仏の歴史的ライバル関係

英国人がみなスーツを着用し、フランス人がピチピチのシャツを着ているとは限らない

私がここでわざわざ書くまでもないことだが、イギリスとフランスの間には、何世紀にもわたる競争と因縁がある。百年戦争、ナポレオン戦争、さらにはスポーツの世界でもサッカーやラグビーの代表戦でバチバチに火花を散らしてきた。日本で行われたラグビーW杯開催時、わたしは横浜に滞在していたが、新横浜駅近くの酒場では、毎夜、場外バトルが勃発していたことを思い出した。彼らの手にはことごとく1パイントグラスが握られていたのだった。

余談

なお、W杯観戦に訪れていた様々な国の方と話をした。スコットランド人とアイルランド人の会話は一言も理解できなかったので、イングランド人の友人に「翻訳」をお願いした(そのイングランド人いわく「俺には東北や新潟の年配の方が何を言っているのか1%もわからない。純平(筆者)のお祖母ちゃんの言葉が全く解読できなかった。それと同じさ」とのことだった)。

さて、特にイギリス人とフランス人の間には「お互いに対する皮肉」を言い合う文化が根付いているといわれる。イギリス人はフランス人を「傲慢で自己陶酔的」と見なし、フランス人はイギリス人を「味覚のない田舎者」などとからかう。そこに「革命」「言語」といった、際どいテーマを絶妙に絡めるのだ。

そして、私には、彼らのやりとりは、妙なリズム感と「型」のようなものがあるように聞こえた。まるで落語とラップ・バトルを足して2で割ったようなやり取りに思えたのだ。

そうなのだ。これは、一種の伝統芸能なのである。

まるで何もなかったかのように通り過ぎる日本人

面白かったのは、この言い合いを目撃していた周囲の日本人たちがほとんど無反応だったことだ。一大観光地の中心で、外国人が短くない時間を使って言い合っているのに、誰も気にしていない。ある意味、それもまた日本らしさの象徴とも言えるかもしれない。

ヨーロッパだったら、もう少し周囲の人がチラ見したり、場合によっては厄介ごとに巻き込まれたりすることもあるかもしれないが(私も実際にそういう場面を見たことがある)、日本ではただの「雑踏の一部」にしかならないのが興味深い。

インバウンド観光客の客層変化を実感

このやり取りを見ながら、「嗚呼、日本でこんな場面に遭遇するとは」と思いつつ、歴史が今もこうして日常の一コマとしてたち現れる面白さを感じた。英仏のライバル関係は、戦争だけでなく、こうした日常のちょっとした言い合いの中でも続いているのだろう。

いっぽう、別の感想も立ち上がってきた。こういったやりとりを街角でふと目撃するほど、大勢の観光客が押し寄せているのだろうと感じたのだ。

円安の影響によって、これまで日本にまでは足を運ぶことのなかった層…英国で言えば、いわゆる労働者階級の人々が訪れるようになっているのだ。そして、「旅の恥は掻き捨て」とばかりに振る舞い、隣国の人間と出会えば、ときにこうした漫才を展開する。

バブル期、町内会や農協主催のパック旅行で海外旅行に出かけた日本人も、似たようなものだったのかもしれない。

日本の一大観光地で繰り広げられた、誰も気に留めることのなかった小さな英仏戦争。

その「演者」をみると、微妙に変化している。役者が変わってきている。

これを観光公害の端緒と取るか、はたまた、学びの機会と取るか。

私はあきらかに後者で、もはやエンタメの一種として聞いていた。伝統芸能の無料観覧といってもいい。

そして、アンテナを張っているもの、観測しようと思っている物事が自分の耳や目に飛び込んでくるものなのかもしれない。

ちなみに、勝手に他人の会話を公開するわけにはいかない。「日本語の記事にしていいか?」と聞いたら「まったく問題ねえぜ」とのことだったので、こうして書いている。

Manners maketh man. Bon voyage.

(追記)

ちなみに、本稿で紹介した言葉を日本人が使うと、非常に複雑なことになるので決して真似しないことをおすすめします。我々はSamurai Englishでいきましょう。観光程度なら中学英語でじゅうぶん通用します(実体験)。

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