
LONDON BLITZ 1940 – 1941 (HU 105014) Morning after a night raid a cafe proprietor in a side street carries on. Copyright: © IWM. Original Source: http://www.iwm.org.uk/collections/item/object/205227302
私にはイギリス人の友人がいる。
もう20年も前のことだが、彼の祖母とお会いしてお茶を囲みながら話したことを思い出していた。
お亡くなりになって久しいのだが、ふと思い出して記憶を辿っていた。
お会いした当時、彼女はすでに80歳半ば。しかし、まったくその年齢を感じさせることはなかった。
姿勢がとてもよく、凛とした素敵な女性だったとことを鮮明に覚えている。
そして、英語の発音が驚くほど綺麗だった。古き良き英国式の住宅の雰囲気も手伝って、まるで映画を観ているかのような気持ちになった。
手土産に、日本から持ち込んだ緑茶と、ハロッズで購入したGODIVAのチョコレートを持参したのだが、英国では「ゴダイヴァ」と発音することを彼女から教えてもらった。ついでに、「日本ではバレンタインデーに女性が男性にチョコレートを贈る日になっている」と話したら、「あら、なかなかスウィートなお話ね」と言っていた。欧米ではチョコレートを贈る習慣などないことを、この時初めて知ったのだった。
挨拶が済み、テーブルへと案内された。
居間には、彼女が長い年月をかけて選び、揃えてきたのであろう、家具や調度品が置かれていた。
彼女はおもむろにテーブル脇の棚の引き出しに手を伸ばすと、写真を一葉取り出した。
そこには、とても綺麗な、すこしはにかんだ表情の若い女性の姿が写されている。
それは若き日の彼女のポートレイトで、どこか往年の名女優、イングリット・バーグマンに似ていた1。
就職が決まり、その記念に写真館で撮影したのだという。
ただ、写真館で撮影したはずなのに、どうみても屋外で撮られている。
光の加減も、自然光で撮ったかのようだ。
その理由は、すぐにわかった。
写真右下には、太字の万年筆で撮影日が記載されていた。
「1941年、ロンドン」と記されている。
当時のロンドンは、ドイツ空軍による連日連夜の爆撃をうけ、街は廃墟と化していた。
彼女が続けて取り出した、もう一枚の写真をみると、状況は一目瞭然だった。
写真館はレンガの壁を一部残して崩れ去り、むき出しの鉄骨が、まるで陽の光を求める枝のように、空へとむかって伸びていた。
そうした絶望的状況のなか、彼女はどのようにサヴァイヴしていったのか。
恐る恐る聞いてみると、意外な答えが返ってきた。
「お茶会よ。だって。それくらいしかできないもの。立派なテーブルがなくても、これ(木箱)さえあればそれなりに楽しめることを発見したわ。ティー・コジーも無事だったしね」
「茶葉の在処までは突き止められなかったのだから、この戦争に負けることはない!と思ったわよ。ほほほ」
淡々と話す彼女の様子に、私は呆気にとられてしまった。
英国の方と話す時は、どこか京都の人間と話しているかのように感じることがあり、真意を汲み取ることはできなかった。それに、私は当時の敵国の人間の末裔であることも、話の複雑化に拍車をかけたと思う。しかし、彼女ら彼らがもつ矜持は、たしかに感じ取ることができた。
そして、「最終的には、信頼できる家族や友人のネットワークが効いた」ということも教えてもらったのだった。「なんぴとも、いち島嶼にてはあらず」なのだ。
「ああ、あれは本当だったんだ」とも思った。
というのは、ロバート・キャパが「防空壕の茶会」という写真を撮影していたことを思い出したのだ。
そこに写る人々の表情には不思議と悲愴感がなく、かといって、変に諦観した態度でもないように見える。
あの写真に写る人々と、彼女の表情は、どこか同じものを感じさせた。
私は英国びいきである。とくに、彼らが持つユーモアには、正直、惹かれるものがある。
そして、そのユーモアは、苦境にあってこそ輝くのだ。
彼らの気概は、自分の中にもインストールしておきたいとずっと思っている。

THE FLEET AIR ARM DURING THE SECOND WORLD WAR (TR 1121) Three Fleet Air Arm pilots wearing ‘Mae West’ life-jackets wait for the order of the day on board an aircraft carrier. A Supermarine Seafire can be seen in the background. Copyright: © IWM. Original Source: http://www.iwm.org.uk/collections/item/object/205188668
また、苦境にあっても己の美徳をつらぬくことも必要だと思っている。
この頃、彼女の未来の旦那様(つまり友人の祖父)は、海軍士官としてスーパーマリン・シーファイア2に搭乗し、地中海で戦っていた。こちらの話も凄まじいものがあった。ギリシャから退却する船団を逃すためにわざとトルコの方へと飛び、ドイツ・イタリア軍をかき回した挙句に燃料ギリギリで空母に帰還したらしい。まともな地図なしで土地勘のない空域を飛ぶのだから、常人ならざる離れ業である。ロアルド・ダールの「単独飛行」さながら。ちなみに、この頃の海軍士官は、ネクタイを着用して飛んでいた人もいるらしい。友人の祖父も1944年に制服が変わるまではコレだったらしく、初期の頃は律儀にブレザーを着用し、白シャツにネクタイを締めていたという。こういう英国紳士的痩せ我慢的センスにも、グッとくるものがある。友人の祖父は、亡くなる間際までしっかり背広を着て出掛けていたらしい。
なお、私の祖父は日本海軍の士官であったので、ようするに当時の英国海軍の仇である。よって、彼の祖父とは戦争の話はしないと誓っていたが、詳しく話をしてくれたことに感謝している。
しかも、「君のお祖父さんがアーミー(陸軍)だったら、こうはいかなかったぞ」と笑っていた。
素晴らしい漢だと思った。
- 私がそのことを話すと、「あら。あながち、的外れではないのよ。元は北欧からイングランドへ入植した一族の血を引いているのよ」とのことだった。一族は最終的にはレイトンストーンのあたりに落ち着き、1000年近くにわたってその地に根をおろしたのだという。1930年代に一家はロンドン中心部に移り住み、彼女はタイピストとして働いていたのだった。 ↩︎
- スーパーマリン・シーファイア(Seafire)は、英国の主力戦闘機スピットファイアを艦上機化した戦闘機で、第二次世界大戦中の1942年から英国海軍航空隊(FAA)で運用された。主な改修点は着艦フックの装備と主翼の折りたたみ機構である。高い運動性能を持ったが、航続距離の短さや着艦時の脚部強度不足が課題だった。主に地中海や太平洋戦域で艦隊防空任務に投入された。とくに初期のバージョンは、ほとんど即席の急拵えに近いしろものだったらしく、非常に扱いの難しい機体で、搭乗を嫌がるパイロットも多くいたらしい。 ↩︎
(写真の日本語キャプションは筆者)
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