4時の方向に、誰かいる Someone at four-O’clock
本屋にて
ある本屋で、以前から気になっていた本を買った。全く何も考えずに、レジへと吸い込まれる私。その本屋は、今となってはめっきり少なくなった、完全有人レジを採用している。店員さんが最初から最後まで会計をしてくれるのだ。
レジで会計中、私は、右後ろに何か妙な違和感を覚えた。誰かが立っている気がしたのだ。自分で言うのも何だが、私のこの直感は優れている。何度それで救われたかわからない。
南欧やインド、東南アジア…。これらは、私が愛する国と地域である。何度訪れたかわからない。好きである一方、ある一点、気に入らないポイントがある。スリが多いのだ。日本のスリ件数とは比較にならないほどの件数が発生しているし、スリを生業とする「プロ」も多い。これらの国々を旅行した癖で、他人の接近には敏感なのである。
じっさい、少額ではあったがスられたことがあるし、同行の友人などは、運悪くこうした旅行先で「プロ」にでくわしたために、カメラを周辺機器ごと全部持って行かれたこともある(気の毒ではあったが、手口が鮮やかすぎてもはや天晴れという気持ちだった)。
さて、こうした経験もあって、私は、とくに自分の後方への警戒は怠らないことを信条としていた。日本で普通の生活を送っているなかであっても、その姿勢を崩さないようになっていった。やがてそれは、私の中に「インテリジェンス」として蓄積されていた。
「後ろに誰かいる」ー。
その直感はあたっていた。女性が立っていたのだ。しかも、私のすぐ右後ろ、軍事用語でいえば4時の方向に、である。
ふつう、会計待ちの列に並ぶ場合は、真後ろか、せいぜい「5時」の方向だろう。しかし、その女性は4時の方向に…しかも、すぐ傍に立っていたのである。
距離感が、おかしい。
しかも、どこか殺気めいたものも感じた。それを察知した私は、気持ち半歩のさらに半歩ほど、前に身体を移動させた。実際には3センチほどの移動である。すると、彼女もまた、3センチ身体を動かすではないか!
「嫌な予感がする」。
私の中のインテリジェンスが、そう囁く。
「まさか、レジ前でスられるなんてことはないだろうな。ここは日本だぞ。しかも、夕方の、来客の多い時間帯だ。レジだから監視カメラも確実にあるだろう…。」「いや、むしろ高警戒の場であれば逆に『事(コト)』が成し遂げやすいとか、スパイ小説か何かで読んだ気がするぞ」「凶器を隠し持っていたらどうする」…云々。
しかも、よりによって、今回の会計はやたらと時間がかかってしまった。私が出した千円札(しかも複数枚)の端っこが少し曲がっていたせいで、レジになかなか入らないのだ(最近のレジは、お札や小銭を投入すれば自動計算してくれるシステムなのだ)。何度かお札の挿入を繰り返す女性店員さん。しまった、と思う私。使い始めたばかりのミニ財布が、まだフィットしていないのだ。
いつもであれば、その店員さんと、「すみませんねえ」「いえいえ…」などと笑い合って済む場面である。レジに並ぶ列が行列しているわけではない。後ろに並んでいるのは、その女性ただひとりだ。もちろん、一人であっても私のせいで待たせることは気が引ける。彼女に対しても申し訳ないという感情は沸き起こったのだが、怖さの波がそれを打ち消した。
「いまは”平時”ではないのだ」。
今のこの局面をそう分析した私は、よせばいいのに、店員さんに「ああ、ごめんなさい!」と謝り、迅速に別の札を差し出す。そうこうしているうちに、女性は、じりじりと距離を詰めてくる。「躙(にじ)り寄る」って、こういうことを言うんだな…。実生活では滅多にお目にかからない日本語表現を思い浮かべていたら、その間に彼女は「3時」の方向へと展開していた。
「!!」
私は、頭の中でも声を出すことが出なかった。
この感覚は、あれだ。セットプレーの際の、凄腕センターバックのそれなのだ。点を決めようと躍起になるフォワードの懐にひっそりと躙り寄る。
女性は、自分の持つ、これから買おうとしている雑誌をぶらぶらと左右に揺らしはじめた。彼女は何秒かそれを繰り返したのちに、レジの客側すぐ下にある、手荷物を置くスペースに、その雑誌をポン!と乗っけたのだ。
「(えっ)」と、声は出さず表情で感情を表す私。店員さんと目が合った。すぐに目を逸らし、会計を進める。心なしか会計処理スピードが上がった。
しまいには、私のほぼ隣に立ったのだ! もはや、カップル(またはアベックと表現した方がいいか)の距離感である。
「妻」や「彼女」という感じではない。かといって母親というには歳がそこまで離れていない。レジ前で異様な距離感で並び立つ男と女。この場面をいきなり目撃した場合、いったい我々は、どのような関係だと推察されるのだろうか。
やられっぱなしでは漢(おとこ)が廃る。何らかのアクションを起こさねば。なんだかおさまりが悪い気がした私は、会計が終了し次第、「彼女の顔をみてやろう」と思ったのだ。
なお、店(レジ付近)の構造的には、会計が終了したら右手側から退出するように動線が導かれていて、何も考えずとも「右から出るんだな」というのが直感的にわかる設計になっている。まさに「UI(ユーザーインターフェイス)」というやつである。
身体のバランスを「右から退出する」モードにしていたので、そこから「左側から出ていくモード」に変更するのが嫌だった。ちなみに、私は運動神経が悪いので、急な動作をすると、動きがまるで故障したロボットみたくなってしまう。これ(運動神経が悪いこと)は今に始まった事ではない。わかりきった自分の個性なのだ。「俺、ロボットになりそうじゃん」と予見して新たな動きをつくろうとすると、余計に身体が緊張してしまう。
人知れず、そんな煩悶を心の中で繰り返したのちに、ようやく心の余裕が生まれた。会計が、思ったよりも早く終わったのだ。
「20円のお返しです」
「どうもありがとう」
外国人向けの日本語練習帳にでも登場しそうな単純なフレーズを交わし、レジを退出しようとする。あまりにも急いで退出すると、当てつけのように思われるかも知れない、と思い、結局は右側に180度回転をして、彼女の左側をサッと通過して退出することにしたのだ。
名付けて「シンプル・出(いず)・ベスト作戦」。
すわ一大事。急に女性と向き合う構図に。ワクワクと、一抹の不安が交差する。「どんな顔をしているのだろう?」と思い、チラと目をやった。
すると、あっと驚く光景があった。
鼻から首の上部までを覆う大きな白マスクに、けっこうな度の入った色付きメガネを装着しているではないか!予想していた以上に表情が読めない。というか、まったく顔がわからない。
もちろん、最近はマスクを常用している女性が多いことは承知している。しかし、まったく顔が見えないとなると、話は別である。
あまりの覆面ぶりに狼狽してしまう私。2020年よりも少し前であれば、不審者としてカテゴライズされる可能性すらあったかもしれない。
「もしかすると、知り合いなのかも知れない。こちらが気づいていないだけで、向こうは『ったく、まだ気づかないの?』などと思っているのかも知れない」。なぜか、今更そんなことを考えた。
じっさい、私の母親がそういうタイプだし、昔付き合っていた女性にもにもそういう人がいた。しかし、彼女らとは体型と年齢があまりにも違いすぎる。
そうか、これが非対称性、というやつなのだろう。顔が見えれば、表情さえ見えれば、ひょっとしたらコミュニケーションが生まれるかもしれないのに、こちらには何の手がかりもない。相手の情報量が少なくなればなるほど、コミュニケーションを取れる余地が減っていく。
そして、あまりにも情報が少なすぎると、はじめは好奇心を抱いたとて、やがてはそれが恐怖に転じてしまう。
最終的に彼女は、私から2時の方向、そして私の身体から20センチの距離にいたのだった。結局、目を合わすことなく、私は出口へと歩を進めた。
結局、彼女が何者だったのかはわからずじまい。わかったのは、私が勝手に脳内で有事を戦っているあいだ、彼女は私を敵としてすら認識していなかったらしい、ということだけだ。
2020年の疫病禍を境に「ソーシャル・ディスタンス(=社会的距離)」という言葉を知った人は多いのではないだろうか。私もそのひとりだ。あれから5年以上、私は、無意識的に対人距離をとるのが当たり前だと認識していたのだな、ということに気づかされた。

人と人との距離を研究してきた学者もいる。文化人類学者のエドワード・ホールは、『かくれた次元』のなかで、人には他人に踏み込まれたくない「密接距離」があり、それはおよそ45センチだと述べている。彼女は4時から3時へ、密接距離の内側に、悠々と闖入してきたのだ。「恋人かよ」「母ちゃんじゃないんだから」との直観が働いたのは、間違いではなかったのだ。と同時に、しっかりと絡め取られているのだとも思った。また同じ事態になったら、今度は私が自粛警察になってしまうのかもしれない。
車に乗り、家路に着く間にも煩悶は続く。
「いったい何なんだ。最近、こういう人が増えた気がする。世の中はすっかり余裕がない人で溢れてしまっているのかもな。まったく困ったもんだ…。社会には休みが足りていないのだ。安心して休息し、沈思黙考する時間が…」。
……などと結びの一文をノートに書きかけて、ふと手が止まる。待て待て。あの日、余裕がなかったのは、本当に彼女だけだったのだろうか。キャッシュレス決済が社会に広く浸透した今、曲がった千円札を握りしめ、3センチの前進に一喜一憂し、出口の向きひとつで脳内会議を開いていた男も、なかなかのせこせこぶりだったではないか。
余裕のなさは、たぶん伝染する。次に4時の方向に誰かが立ったら、半歩ゆずって「お先にどうぞ」と言える大人でありたい。

それに、この文章の表現をみてみろ。「作戦」だの、「4時」だの…。
ここ最近は戦闘モードが過ぎたのだ。どこかで荷を下ろして急速に入らねばならないのかもしれない。
しかし、出来事としては面白かったので、書いておくことにする。