その戦いは、地上からは見えない
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(写真キャプション)空母艦上で当日の命令を待つ英海軍航空隊のパイロットたち。背景はスーパーマリン・シーファイア。1943年5月、空母インドミタブル艦上とみられる。
写真:Imperial War Museums(TR 1121)/英国公式カメラマン撮影・パブリックドメイン
※写真はイメージです。本文の人物とは関係ありません。
2日間の空戦 – The Air
この2日間、ほとんど画面の前から動かなかった。
1PHP:ウェブサーバーの側で動くプログラミング言語。注文を受けてページをその場で組み立てる、いわば厨房の料理人の役を担う。22026年10月に明らかになったPHPの重大な脆弱性。通称「php2shell」。経緯は「3分でわかるphp2shell」を参照。PHP1に重大な穴2が見つかったという報せは、一昨日の昼前だっただろうか。突如回ってきた。外から細工した命令を送り込めば、サーバーの奥まで手が届いてしまう種類の穴だという。PHPで動くサイトは、世界のウェブの相当な部分を占めている。私が預かっているいくつかのサイトも、もちろんその中にあった。
やることは地味だ。バージョンを確かめ、更新をかけ、表示が崩れていないかを一ページずつ見て回る。合間にログを眺め、見覚えのない足跡がないかを探す。窓の外が白んできたころ、ようやく最後のサイトが静かになった。
そして、何も起きなかった。
朝になっても、誰からも連絡は来なかった。サイトはいつもどおり表示され、いつもどおり誰かに読まれていた。それが成功の形だということは、頭ではわかっている。けれど、成功した仕事がまるで何もしなかったのと同じ顔をしているのは、どうにも据わりが悪い。
その据わりの悪さを抱えたまま、私は騒動について記事を数本書いた。何が起きたのか、PHPとは何者なのか。いただいた質問の共有も継ぎ足していった結果、2日間で、実に90,000字以上を集計していた。その中から確度の高い情報と、冗長な部分をできるだけ抜いたものを記事にした。それでも10,000文字を超える、この手の記事としては自分でも驚くほどの分量になった。
書き終えて椅子の背にもたれたとき、ふと、ある老人の顔を思い出した。20年も前に一度だけ会った、イギリスの老人だ。
酒保にて – The NAAFI
正確な年数を思い出せないほど前のことだ。イングランドはケント州にある、イギリス人の友人の家に滞在したことがある。仮にトムと呼んでおく。ある午後、トムは私を祖父の家へ連れていってくれた。
3英海軍航空隊(Fleet Air Arm)。空母などの艦艇から航空機を運用する英海軍の部隊。4スーパーマリン・シーファイア。スピットファイアを艦上機に改修した戦闘機で、1942年から配備された。5スーパーマリン・スピットファイア。1940年のバトル・オブ・ブリテンで知られる英空軍の代表的戦闘機。61943年の地中海では、7月にシチリア上陸作戦、9月にイタリア本土のサレルノ上陸作戦が行われ、英空母部隊も航空支援にあたった。祖父のハリーは、背筋のまっすぐな老人だった。戦争中は海軍のパイロット3だったという。イギリスで空の戦いといえば王立空軍(RAF:ロイヤルエアフォース)が思い浮かぶ。海軍で飛んでいた人間は、それだけで少し珍しい。乗っていたのはシーファイア4という戦闘機だった。あの有名なスピットファイア5を、空母で使えるように手直しした機体だ。ハリーはそれで地中海6を飛んだ。
7救命胴衣は「メイ・ウエスト」の愛称で呼ばれた。膨らませた姿が、豊かな胸で知られた米女優メイ・ウエストを思わせたことから。紅茶が二杯目になったころ、ハリーは棚から古いアルバムを出してきた。開かれたページに、一枚のふるぼけた白黒写真が貼ってあった。救命胴衣7をつけた若い男たちが、飛行甲板で何かを待っている。その一人を指して、ハリーは「これが私だよ」と言った。写真の中のハリー青年は、緊張感を隠しきれない一方、少し気だるそうでもあり、それでいて表情はどこか誇らしげだった。私は「これから戦闘機に乗り込むというのに(あるいは、戦闘機に乗ってきたばかりなのに)、ちゃんとネクタイを着用するんだな」と思った。
「陸軍の兵隊には、酒保や、非番のとき繰り出した町のパブで、しょっちゅう絡まれたもんだよ」とハリーは笑った。「やつらときたら、まるで礼儀ってもんをわきまえちゃいないんだ」。ハリーは、いわゆる中産階級の出身だ。しかも、大学を出て、勤め人をしてから海軍に入っている。陸軍の兵隊は労働者階級が多い。「やっかみ」は相当なものだったのだろう。
8英軍の酒保は、1921年に設立されたNAAFI(陸海空軍協会)が運営していた。兵士たちは今も酒保を「ナーフィ」と呼ぶ。酒保8というのは、軍の中の売店兼酒場のようなものだ。泥だらけで帰ってきた歩兵たちは、そこで翼のマークをつけた男を見つけると、決まってこう言ったらしい。
「お前らはどこにいやがったんだ。肝心なときに姿を消しやがってよ」
その台詞を真似るとき、ハリーはなぜか少しだけ楽しそうだった。
91940年5月末〜6月初め、フランス北部ダンケルクの海岸から英仏軍の将兵約33万8千人を撤退させた作戦(ダイナモ作戦)。イギリスの兵隊たちには、昔からこの手の恨み節がある。ダンケルクの撤退9のときも、浜辺で救助を待つ兵士たちは空を見上げて「空軍はどこだ」と毒づいたという。実際には、戦闘機の多くは内陸や雲の上で敵の爆撃機を食い止めていた。浜辺からは、それが見えなかっただけだ。
2つの命令 – The Order
ハリーの話には続きがあった。「上」からは、いつも馬鹿げた命令が降ってきたのだという。
ひとつは、「海面すれすれを飛んで、敵(ドイツ軍、イタリア軍)を襲撃してこい」。低く飛べば敵の目はごまかせるが、少し操縦を誤れば海に突っ込む。言うのは簡単な命令だ。
101944年6月6日のノルマンディー上陸作戦に始まる、連合軍の北西ヨーロッパ反攻。シーファイアもこの作戦に参加している。もうひとつは、「ただし、来るべきヨーロッパ大反攻10に備えて、機体には一切の傷を残さず温存せよ」。
横でトムが肩をすくめ、鼻で笑いながら私に耳打ちをしてきた。「さすがに無茶苦茶だろ。突っ込めと言いながら、傷ひとつつけるなっていうんだから」
私も笑った。
突っ込めと言われ、同時に、機体は無傷で持ち帰れと言われる。「上」は、ハリーたちが突っ込むとどうなるのかを知らないわけではないのだろう。
そのときは、遠い国の、遠い時代の笑い話として聞いていた。
けれど、この2日間の作業を終えた今、その2つの命令は妙に聞き覚えがある。
「すぐに塞いでください。ただ、サイトは止めないでください。表示も崩さないでください。それから、できれば追加の費用はかけずに」。
111943年9月のサレルノ上陸作戦。小型の護衛空母から無風に近い条件で発着艦を強いられ、シーファイアは着艦事故で多くの機体を失ったとされる。しかもシーファイアという機体は、もともと陸上の戦闘機だ。空母の甲板に叩きつけられるような着艦には、脚が弱すぎた。ある上陸作戦11では、敵に落とされた数より、甲板で壊れた数のほうが多かったという記録もある。温存しろと言われても、そもそも温存しにくい機体だったのだ。
何年も前に組まれた古い仕組みを抱えたサイトを、壊さずに直す。ハリーの愛機の話を思い出して、私は少し同情した。機体にも、パイロットにも。
ガンカメラ – The Camera
とはいえ、ここで自分をハリーに重ねて「報われない者同士だ」と酔うのは少し違う。彼は命を賭けていた。私が賭けたのは、せいぜい睡眠時間だ。
それに、私とハリーの間には、もうひとつ違いがある。
12機銃の発射と連動して作動する小型の映画カメラ。撮影されたフィルムは、撃墜などの戦果を確認する証拠として使われた。当時の戦闘機には、ガンカメラ12という小さなカメラが積まれていた。機銃を撃つと同時にフィルムが回り、空で何が起きたかを記録する。地上に戻ったパイロットの戦果は、そのフィルムで初めて確かめられた。見えない空の出来事を、地上の人間に見せるための道具だ。
この2日間、私が書いていたのは、つまりそれだったのだと思う。
13「「PHP2shell」で何が起きたのか。PHPを「厨房の料理人」にたとえて説明してみる」(2026年10月22日)。前回の記事13では、PHPを厨房の料理人にたとえて、サイトの奥で何が起きているのかを説明した。穴がどこにあって、なぜ塞ぐ必要があったのかを書いた。誰にも見えないところで起きていたことを、見える形にしようとした。
ハリーは酒保で荒くれ者の陸軍兵に絡まれても、言い返す手段を持っていなかった。空の上の話は、空にいた者にしかわからない。私には、少なくとも書くという手段がある。報われなさを嘆く立場にいながら、同時に、その報われなさをいくらか解消する道具も持っている。そこは、ハリーより少しだけ恵まれている。
悪態の意味 – The Swear words
ひとつだけ気になっていることがある。ハリーはなぜ、あの台詞を楽しそうに真似たのだろう。
少し考えて、思い当たった。歩兵たちの悪態は、裏を返せば期待の言葉だったのではないか。「どこにいやがった」と怒鳴るのは、本当はそこにいてほしかったからだ。空から守ってくれると、当てにしていたからだ。当てにされていない者は、そもそも絡まれない。
だとすれば、酒保で浴びた悪態は、ハリーにとってある種の勲章だったのかもしれない。
誰も表彰はしてくれないが、地上の誰もが、空に誰かがいることを前提に戦っていた。
2日間の騒動が過ぎて、私の預かるサイトは今日も静かに表示されている。誰も何も言ってこない。それはたぶん、ハリーが酒保の喧騒の中で感じていたものと、どこかでつながっている。
14帝国戦争博物館(Imperial War Museums, IWM)。1917年創設、ロンドンに本館を置く英国の戦争博物館。冒頭の写真(TR 1121)も同館の所蔵。この原稿を書くために、イギリスの戦争博物館14の写真を探した。そこで一枚のカラー写真に行き当たった。空母の上で、三人のパイロットが当日の命令を待っている。背後にはシーファイアが見える。ハリーではない。けれど、アルバムの中の彼にそっくりだった。
驚いたのは色だった。ハリーの写真では灰色にしか見えなかった救命胴衣が、鮮やかな黄色をしていた。
地上から見えていなかったのは、空の上の戦いだけではなかったのかもしれない。
いろいろなことに思いをいたすことが大切なのだろう。私は私で見えていなかったことが多い。
脚注
- PHP:ウェブサーバーの側で動くプログラミング言語。注文を受けてページをその場で組み立てる、いわば厨房の料理人の役を担う。
- 2026年10月に明らかになったPHPの重大な脆弱性。通称「php2shell」。経緯は「3分でわかるphp2shell」を参照。
- 英海軍航空隊(Fleet Air Arm)。空母などの艦艇から航空機を運用する英海軍の部隊。
- スーパーマリン・シーファイア。スピットファイアを艦上機に改修した戦闘機で、1942年から配備された。
- スーパーマリン・スピットファイア。1940年のバトル・オブ・ブリテンで知られる英空軍の代表的戦闘機。
- 1943年の地中海では、7月にシチリア上陸作戦、9月にイタリア本土のサレルノ上陸作戦が行われ、英空母部隊も航空支援にあたった。
- 救命胴衣は「メイ・ウエスト」の愛称で呼ばれた。膨らませた姿が、豊かな胸で知られた米女優メイ・ウエストを思わせたことから。
- 英軍の酒保は、1921年に設立されたNAAFI(陸海空軍協会)が運営していた。兵士たちは今も酒保を「ナーフィ」と呼ぶ。
- 1940年5月末〜6月初め、フランス北部ダンケルクの海岸から英仏軍の将兵約33万8千人を撤退させた作戦(ダイナモ作戦)。
- 1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦に始まる、連合軍の北西ヨーロッパ反攻。シーファイアもこの作戦に参加している。
- 1943年9月のサレルノ上陸作戦。小型の護衛空母から無風に近い条件で発着艦を強いられ、シーファイアは着艦事故で多くの機体を失ったとされる。
- 機銃の発射と連動して作動する小型の映画カメラ。撮影されたフィルムは、撃墜などの戦果を確認する証拠として使われた。
- 「「PHP2shell」で何が起きたのか。PHPを「厨房の料理人」にたとえて説明してみる」(2026年10月22日)。
- 帝国戦争博物館(Imperial War Museums, IWM)。1917年創設、ロンドンに本館を置く英国の戦争博物館。冒頭の写真(TR 1121)も同館の所蔵。