インバウンド讃歌小説「当頭棒喝」

久方ぶりに新幹線に乗る機会がありました。

東京発の某新幹線の乗車率は100%に迫る勢いでした。

私が乗車した車両は、出張帰りの日本人ビジネスマンお父さん、学生と思しき若い男女に加え、インバウンド的な方々が半分くらいを占めていたと思われます。

私はいつも座る窓際の2人席に腰掛けました。

ほっと一息つき、ドリンクホルダーに放り込んだばかりのプレミアム国産黒烏龍茶に手をやると、通路を挟み、世界第2位の経済大国からお越しの大家族と隣席していることに気が付きます。

家族水入らずの日本旅行は相当な盛り上がりを見せていると推察され、発車早々、席をくるりと回転させ、大人たちは一斉に酒とツマミを取り出し、香ばしい匂いが瞬く間に充満。

ご子息ご息女はたいへん元気がよろしく、車中を縦横無尽に転げ回る始末。

母親と思しき齢30手前のご婦人は大股を広げ、特盛にデコられた鈍器のような形状のスマートフォンでゲームに興じ(イヤホンではなく本体のスピーカーを使用)、能動的無関心を貫く構えを崩しません。

父親と思しき男性は、愛息子愛娘の声量に負けじと声を張り上げる始末でありました。

「此れぞ、本場の酒宴也」と横目で見送りながら、車窓を眺めつつ、イヤホンのノイズキャンセリング機能をMAXに引き上げたのでした。

しかし、それすらも余裕で貫通する大爆音が、まるで私の頭蓋骨に闖入するかの如く響き渡るのです。

30分ほど、そうした状況が続いたのでした。

しばらくして、左手につけているガーミンウォッチが振動するので、目を落とすと、「リラックスリマインダー」の通知が。サブテキストには「強いストレスを感じているようです。少し深呼吸しますか?」との表示。

深呼吸、したい。

しかし、それをすれば、酒と得体の知れないツマミをちゃんぽんした空気を盛大に取り込むことになってしまう。

大家族の後ろの席に目をやると、疲れ果てた出張帰りのお父さんが、白目を剥かんばかりにうなだれているではないか。

そうしたことが、私の頭の中をぐるぐると駆け巡るのでした。

私は平素より「丁寧にコミュニケーションを取れば、ほとんどの物事は円満な解決をみる」との信念を持っています。また、同時に、時期を逸すると何事も成立しないとも考えております。

そんなわけで「やかましい!!」と日本語で一喝をしましたら、先ほどまで繰り広げられていた85dbに迫らんばかりの大音響は一斉に鳴りを顰め、まるでクラシックコンサートの開演前のあれを彷彿とさせる静寂が車中を支配することとなりました。

私は今年で40になりました。中年街道まっしぐらです。あとは死に向かってまっしぐらという気さえして、悶々とする夜もある。迫り来る更年期障害の影にも怯える。声は意図せずとも低くなっています。そこに意識的に外部への放出性を持たせるとなると、いやが応にもドスの効いたトーンになってしまいます。

心の置き所が見つからぬまま、残りの2時間を過ごすのは難儀というほかありません。

いや、正直申し上げれば、単純に「(しまった)」と思ったのでした。仮にも、本邦にとって「宝」とまでは言わないまでも、大切なお客様なわけなのであります。

「…私は中国の古典、とりわけ論語と貞観政要には10代の時分にたいへん感銘を受け、多くのことを学びました。これらは、とりわけ江戸時代以降の日本文化、すなわち現在も日本において美徳とされる謙遜など概念の多くに多大なる影響を与えたものと思い、感謝しています。どうぞ素敵なご旅行をなさってください」と苦し紛れに申し上げました。

すると、どうでしょう。

奥方が「この日本鬼子は一体何をトチ狂ったことを言ったのだ」とでも言わんばかりの形相で私を睨みつけるなか、男性は「I’m Very Very sorry, apologize…(たしかそうおっしゃっていたはずです)」と呟くではありませんか。

私などは「そうこなくっちゃ」となりまして、以後は、遠方より来たる友となったご主人と「おすすめの日本酒は?」「日本では、史記を題材にした漫画や小説がとても人気があるけれど、本場の皆様はどう思うのだろうか」などと、私の守備範囲ど真ん中の話に花を咲かせたのでした。コミュニケーションツールとしての英語の素晴らしさも再認識できた瞬間でした。

心の真芯を捉えたコミュニケーションをすれば、きっと言語や文化を超え、F35戦闘機と殲撃20型威龍がドッグファイトを繰り広げる必要はない…とまでは言い過ぎだとしても、たとえ今後、何があろうとも、対話の糸口はきっと見つかるものと信じたいですね。

現場からは以上です。

余談ですが、戦闘機に「殲撃」「威龍」などとつけるあたり、兵器設計の根本思想を飛び越えて文化の奥の部分からしてまったく異なるのだな、と思いました。私は「烈風」くらいに止めるのが粋だと思います。ちなみに、もっとも好きな航空機は「彩雲」です。偵察機です。

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