先週、落合信彦氏がお亡くなりになった。
ひとりの書き手として、私は氏のことを深く尊敬してきた。
心より哀悼の意を捧げたい。
はじめに
はじめに申し上げておくと、私は落合信彦氏の影響を、リアルタイムで浴びた世代ではない。
そのため、このような文章を書くべきかどうか、正直に言って迷いもあった。
しかも、いわゆる世間一般のライターらしいライターではなくなってしまった。
それでも、私が物を書くことを生業とする人間の端くれであるならば、
書くことによって追悼の意を表すのが、もっとも誠実な態度なのではないか。
そう考え、いまキーボードを叩いている。
「国際ジャーナリスト」と落合節
そもそも、ハマったきっかけは、テレビで落合氏の「国際ジャーナリスト」という肩書きを目にしたことだった。これがとにかくカッコ良かった。
世界中を渡り歩き、生きた情報を掴み取り、文章を書く。
「そんな人が現代日本にも存在しているんだ」という純粋な驚きがあった。
たとえば、落合氏は外国語表記において、日本語慣用よりも現地発音や自身の聴感を優先する独特の書き方を用いることが多かった。
英語をマスターし、国際感覚を身につけた落合氏ならではの表記は、氏の美学のようなものを感じさせ、本を読む楽しみにもつながった。
例を挙げると、
- 「プレジデント」は「プレズィデント」と表記する
- 母音の前に来る「The」を必ず「ズィ」と表記すること(ジ、ではなく、あくまでも「ズィ」)
- 「プーチン」ではなく「プーティン」
細かいことだが、このような、落合節ともいえる独特の表現・表記のファンでもあった(無意識に真似をしてしまって編集者に直されてしまうことも多々あった)。
思いっきり、影響を受けていたのだ。
「ノビー」と「落合氏」
落合氏の影響を最も強く受けた世代は、私より10歳ほど年上、2026年時点で言えば、50代前半の方々ではないだろうか。
私の親類縁者や、近所に住む年の離れたお兄ちゃん連中のなかにも、少なくない数の「ノビー」ファンがいた。
彼らは親しみを込めて、落合氏のことを「ノビー」の愛称で親しんでいたのだ。
一方、1985(昭和60)年生まれの私にとって、
落合氏はあくまで「落合さん」「落合氏」という距離感の存在だった。
軽々に「ノビー」と呼ぶことはできない存在でもあった。
中学生になってようやく読書をするようになり、
少し背伸びをし出した頃、氏の著作を手に取った――
それが、私と落合信彦氏との関係である。
だから、正直に言えば「10代の頃に人生を決定づけられた」と得意げに語る資格はない。
私は、そういう中途半端な位置にいる読者だった。
熱源のひとつになっている落合氏のことば
私が手に取ったのは、90年代後半以降の著作が多い。
当時はもちろんAmazonも楽天もなく、80年代の本を入手しようとすれば、古本屋を探し歩くほかなかった。
そういった状況下にあったので、氏の著作をすべて読んだわけではない。
図書館で借りたりで、すべて頭の中に入れることもできなかった。
それでも、そのシンプルながらも強烈なメッセージは、私の身体の一部になっているように思う。
「狼になれ」
「檻に囲われた豚になるくらいなら死ね」
こうした言葉に触れた10代前半の私は、電撃を食らったかのような衝撃を受けた。
当時は「君は君らしく生きていいんだよ」といった価値観の萌芽、個性重視の教育に移行しつつある風潮があったし、学校教育の現場では、いわゆる「ゆとり教育」が始まろうとしていた時期だった。
世間とは真逆と言っていいほどの強烈なメッセージは、10代の私にぶっ刺さった。
精神の城塞としての落合本
私が10代を過ごした90年代は、バブル崩壊後の迷走にはじまり、さまざまな凶悪事件が頻発する、閉塞感の漂う時代でもあった。1
当時、大ヒット曲を連発するMr.Childrenを毎日のように愛聴していたのだが、90年代半ば以降の彼らは、新譜を出すたびに暗い感じになっていくし2、どこか心の置きどころを見つけきれないような日々を送っていた。
そのような中で、輝きを放っていたのが落合氏の言葉の数々だった。
「群れるな」。
「孤独を恐れるな」。
「豚になるくらいなら死ね」
という荒々しい言葉は、
私の心にぶっ刺さって根本から価値観を揺さぶられるとともに、精神の城塞を築くような役割を果たしてくれたのだと思う。
檻の中は居心地がいい。
だが、飼い主の意向ひとつで、簡単に屠られてしまう場所でもある。
実にシンプルな言葉と内容だが、私を含め、豊かな時代に生まれ育った人々は、指摘されなければこのことに気が付かないことなのではないだろうか。
振り返ってみれば、私は結局、会社勤めをしていない。
友人も少ない。
少なくとも、群れから距離を取る生き方を選んできた。
常に緊張感を強いられる毎日を過ごす一方で、一匹狼だからこそ実感する幸福を感じてさえいる。
その原動力、もっといえば、私の熱源となっているのは、落合氏のことばの数々である。
取材者としての圧倒的な存在感
私の心の熱源になっているのは言葉だけではない。落合氏の「取材」である。
いまだ足元にも及ばないが、取材者の大先輩として間違いなく多大な影響を受けてきたし、尊敬していた。
私も「取材」を生業としている。落合氏の取材手法や取材術に関して、間違いなく影響を受けている。「こんな聞き出し方、俺もやってみたい!」と何度思ったかわからない。著作に書かれている取材術的な要素をまとめて、スクラップブックを制作したこともあるくらいだ。
中でも有名な「あえて相手を怒らせて本音を聞き出す」という手法の危うさを身をもって知ったりした。
あらためて氏の著作を読み返すと、その取材力、とりわけ対面インタビューの力量は、やはり突出していたように思われる。
本の面白さの核にあるのは、国際情勢の鋭い分析そのものだけではない。落合氏自身のインタビューによって引き出された、生々しい言葉と情報だ。内容の密度がまったく違う。
まず、あまりにも話の内容が面白い。「どうやったら、こんな話を引き出せるのだろう?」「どうやったら、こんな関係性を築けるのだろう?」と感じたことかわからない。
そして、インタビュー対象者の凄さだ。兎にも角にも、取材する人物が破格すぎるスケールなのである。
とくに、オルブライト大学在籍時の1960年代、キューバ危機の只中において、学生選挙スタッフの立場でありながらロバート・ケネディに突撃取材を実施したことを皮切りに、後述するサッチャー英首相や、モサドの長官や、イスラエルの大物スパイであるヴォルフガング・ロッツへの現地インタビューなどを敢行してきた。ソ連崩壊後、黒海艦隊に乗り込んで軍艦の上でインタビューしている写真も見たことがある。90年代に入ると、ミャンマーの民主活動家アウンサンスーチー氏への現地インタビューなどを敢行していた。いずれも、新聞社やテレビ局だと「待った」がかかるような場所と人たちである。もしくは、そもそも相手から門前払いされるのがふつうだ。
だからこそ、「話が大きすぎるのではないか」「盛っているのではないか」
「ハッタリではないのか」という疑念も生まれたのだろうと思う。
「オイルマンとしてアメリカで石油を掘り当てまくった」などの伝説もまた、毀誉褒貶相半ばする氏の評価につながったのだろう。
(追記)これについては「命の使い方」という本に、先輩オイルマン「ジョン・シャヒーン氏」なる人物に関する著述がある。おもしろいのでぜひご一読されたい。
もちろん、いまだに「アレ?」と思う真偽不明な話がないわけではないが、今回はそんな野暮なことは書かず、感謝だけ書き連ねたい。
初めて一気呵成に読み終えた一冊
では、私はいったいどんな本に惹かれたのか?という話をしたい。
はじめて落合氏の著作を手に取った日のことを、いまも鮮明に覚えている。
私が中学生の頃のことだ。
私にとって、その初めての読書体験となったのが、落合氏の書籍『モサド、その真実』だった。
「一気呵成に読み終えた」という読書表現があるが、まさしくそうした体験だった。
ある日の放課後、学校の図書室で私は同書を夢中で読んでいた。
モサドの初代長官イサル・ハルエルに直撃インタビューを敢行する――
どう考えても、破格のスケールである。
イスラエルの諜報機関であるモサド3は、いまでこそ海外ドラマに登場したりしている。しかし、この本が刊行された当時は、まだ謎のベールに覆われた秘密組織という印象が強かったと思う。そのような時代に、設立者であり初代長官であるイサル・ハルエルに直撃インタビューを敢行するなど、「どうやったらそんな芸当ができるのだろう?」という、現代から考えても破格のスケールというほかない取材によって編まれた本である。この本を構成する骨子は、落合氏自身のあくなき執念と熱意、そして現地取材によるものだ。
また、アドルフ・アイヒマン4捕獲作戦について知ったのも、この本だった。
インテリジェンスとしての情報を取れ
落合氏の一連の著作には、必ずと言っていいほど「情報」という語が登場する。
そこで語られる「情報」は、単なる「インフォメーション」を指すものではなかった。
収集し、分析し、意思決定に資する要素のことを指す言葉だ。
すなわち「インテリジェンス」である。5
今でこそ(というか、ようやく、というべきなのか)、一般的になってきた言葉だが、80年代〜90年代くらいのころは、ほとんど重要視されていなかった言葉ではなかっただろうか。
この視点を、日本で粘り強く説き続けた人物のひとりが、落合信彦氏だったのではないだろうかと思う。
落合氏は、このインテリジェンスという言葉を、国際的諜報の世界だけではなく「一人ひとりの人間が生きる、生き抜く上での必須要素である」としても説いていたように思う。
「情」とリーダーの人間性への目線
もうひとつ、「情」という語について。
情報には「情」という語が含まれているが、この語についても重要視していた人なのではなかったかと思う。
「情」が抜け落ちた情報は、ただのノイズになる
ここが重要な分かれ目だと思う。
落合氏の語る情報は、「正しいかどうか」以前に、
- それが 人をどう動かすか
- それが 意思決定にどう影響するか
という点に重心があったように思う。
これはまさに、
インテリジェンスの世界で言うところの
information → intelligence
の変換過程と重なる。
そしてこの変換に不可欠なのが、
人間の「情」――
- 哲学・倫理
- 恐怖
- 欲望
- 憎悪
- 名誉欲
- 忠誠心
といったものだ。
落合氏は、
情を欠いた情報は、意味を持たない
と直感的に知っていたように思う。
とくに、リーダーの情と人間性に関する話が非常に興味深い。
これまでに挙げてきた書籍は、絶版になっていたりで手に入りにくいものが多い。
現在簡単に手に入れることができ、かつ、内容の新しい書籍から引用したい。
おそらく1990年前後だと思われるが、落合氏は退任直後の英元首相マーガレット・サッチャーへのインタビューを実施していた。
1982年4月2日、アルゼンチン陸軍が英領フォークランド諸島に上陸すると、彼女は同月5日には機動部隊を出撃させた。 当時、サッチャーを好戦的と見る者が少なくなかったがそれは事実に反する。彼女はむしろ戦争嫌いで、首相に就任してから他国への軍事介入を避けてきた。しかし、イギリスの主権と領土を侵すアルゼンチンの暴挙に対しては、一切のためらいもなく、すぐさま動いたのだ。かつて私のインタビュー取材に対して、彼女はその時の覚悟をこう語っていた。 「確かに戦争は悪です。しかし、その戦争によってもっと巨大な悪をストップせねばならぬこともあります。もし連合国がヒットラーをストップしなかったら今頃世界はどうなっていましたか」 アメリカ任せで壊れたレコードのように「圧力強化」を繰り返すだけの日本の政治家は言うに及ばず、このサッチャーの言葉は「戦争反対」「憲法9条死守」を唱えるだけの護憲派にも鋭い批判となっている。
落合信彦; 落合陽一. 予言された世界 (pp. 123-124).
落合氏は、さらに以下の言葉を引き出している。
同じインタビューでサッチャーはこうも語っている。
「平和は貴いものです。しかし、自由はもっと貴いのです。独裁の中での平和よりも混乱の中での自由の方がはるかに人間的であると私は思います。その自由のシステムが存亡の危機にあるとき、自由を愛し、自由の恩恵に浴している人間は立ち上がらねばなりません」
落合信彦; 落合陽一. 予言された世界 (p. 124).
ひとりの人間の情というか魂すら感じさせる内容を引き出した名インタビューだと感じている。
サッチャーは地方都市の雑貨屋の娘で、相当な努力をしてオックスフォード大まで進み、政界入りを果たしたわけだが、そうした1人の人間の生き様や矜持が行間から滲み出てくるような気がした。
生成AIでインタビューをとった場合、こうはならないだろうと思う。
なお、この後に続く記述が本作のハイライト(山場)のひとつだと思うので、気になった方は、ぜひ手に取って読んでみていただきたい。
追悼の言葉にかえて
落合氏の訃報から1週間が経過した。
世間はミラノ・コルティナ冬季オリンピックが開幕し、世界は平和の祭典に湧いている。
しかし、ひとたび国際情勢に目を向けて見れば、諸国がむき出しの欲望をあらわにする弱肉強食の時代に逆戻りしつつある。
北京冬季オリンピックの直後、ロシアはウクライナに侵攻した。
中国は他国への野心を隠そうともしなくなった。
米国は、世界の警察官の座を降りるどころか「もはや到底務まらない」とった有様である。
まさしく落合氏の予測した通りの情勢となってきている。
できればもっと、落合氏のご意見を聞かせてほしかった。
むしろ、まさに今こそ必要だと思う。
しかし、嘆いていてばかりではいけないのだろうと確信している。
われわれ一人ひとりの市民が大きな国際政治の流れに抗うのは難しい。
しかし、人間の「情」や「性(さが)」を冷徹に見つめつつ、自らを高めていく道は残されている。
「落合さんなら、はたしてどう考えるだろう」
そう自問しながら、なんとかこれからの混迷の時代を生き抜いていきたいと思っています。
心より、ご冥福をお祈りします。
※本来なら本記事は落合氏ご逝去の翌日に公開する予定でしたが、選挙期間中ということもあり、意図せぬメッセージとなることを懸念し、本日の公開としました。
註釈(いずれも記述・文責は竹谷)
- 90年代の社会的背景について
1990年代の日本は、バブル崩壊後の長期不況、阪神淡路大震災、
オウム真理教事件、少年犯罪の増加、学級崩壊など、
社会全体に閉塞感が漂っていた時代であった。
本稿における「精神の城塞」という表現は、
そうした環境下で個人が拠り所とした思想的・心理的防衛線を指している。 ↩︎ - 90年代のミスチルの暗いアルバム
「深海」「Bolero」のこと。もっといえば、「Atomic Heart」のとくに後半部分にも暗いアルバムの兆しがある。今でも聴くし、ずっと好きではある。しかし、90年代当時にこれらの作品を聴くと、どうしようもない閉塞感がブーストされ、逃げ場のない鬱々とした気持ちに襲われた。 ↩︎ - モサド(Mossad)
モサド(ヘブライ語では「ハ・モサッド」)は、イスラエル国の対外諜報機関であり、正式名称は「情報・特殊任務庁」である。1951年に設立され、対外諜報活動や秘密工作、要人警護などを主な任務とする首相直属機関。冷戦期以降、その活動の多くが秘匿されてきたことから、世界的に神秘化・伝説化される側面も持っている。本稿で触れている『モサド、その真実』が刊行された当時、日本において同組織に関する体系的な情報はきわめて限られており、落合信彦氏による一次取材に基づく記述は、読者に強い衝撃を与えた。 ↩︎ - アドルフ・アイヒマン
アドルフ・アイヒマン(Adolf Eichmann, 1906–1962)は、ナチス・ドイツ親衛隊(SS)中佐。
アウシュヴィッツ=ビルケナウ等の強制収容所において「ユダヤ人問題の最終的解決(ホロコースト)」を実務面で主導した人物とされる。戦後は南米に逃亡したが、イスラエル諜報機関モサドにより拘束され、エルサレムで裁判を受け、死刑判決が執行された。本件は、ハンナ・アーレント『エルサレムのアイヒマン』でも広く知られている。 ↩︎ - 「情報」と「インテリジェンス」について
本稿で用いている「インテリジェンス」とは、単なる情報(information)ではなく、
「収集・分析・評価を経て、意思決定に資する形に整理された知見」を指す。
英語圏では軍事・外交・安全保障分野を中心に一般化した概念であり、
戦前日本でも陸軍参謀本部をはじめ一部で使用されていたが、戦後は長らく公的議論の場から遠ざかっていた。 ↩︎

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