秘すれば花 -世阿弥、佐渡、そして新潟の独学者

本記事は英語記事用に書いたものを逆翻訳したものです。

原文はこちら

抜粋

十年来、ジャケットの内ポケットに入れて持ち歩いている一冊がある。世阿弥の『風姿花伝』だ。一代一人にしか伝えてはならなかった能の秘伝書は、いま読むと、フリーランスのための手引書でもあった。また、この書と佐渡における世阿弥の足跡について、吉田東伍が果たした功績について簡潔にまとめてみたい。

目次

座右の書のひとつ

この10年ほど、ジャケットの内ポケットに一冊の少し分厚い文庫本を入れて歩いている。なかなかボリュームのある本だが、それでも持ち歩きたくなってしまう。情報を得る対象としてはもちろん、お守りのような気分で持ち歩いてもいる。

世阿弥の『風姿花伝』だ。1400年頃に書き始められた、能の芸論である。実は電子書籍でも持っている。けれど、電車の中や取材の合間の喫茶店で、適当に開いて読みたくなる本というものがある。これはその一冊だ。もっとも、本来は適当に開いてつまみ読みできるような簡単な書ではないが。

白状すると、多少きちんと読めるようになるまでに何年もかかった。古文は硬いし、そもそもこの本は私のような読者を想定していない。一座の後継者のためだけに書かれた秘伝書であり、五百年ものあいだ、家の中に封じられてきた文書なのである。

ところが腰を据えて読んでみると、意外なことに気づいた。これは高尚な美学の書ではない。「観客を前にして食べていく者」のための、生存の手引書なのだ。

本来、芸能者(古くは猿楽師などと呼ばれた人々)を対象として書かれた書である。しかも「一代一人の相伝」、つまり一代につきただ一人にだけ伝えるべしと定められた、極めてパーソナルな、そして極秘の芸能手引書であった。たとえ実の子であっても、器量のない者には伝えるなとまで書かれている。しかし、よくよく考えてみると、こうも思えるのだ。「フリーランスの手引書としても読める」と。

新潟で、フリーランスの書き手・取材者として暮らす私は、ほとんどすべてのページに自分の姿を見るような気持ちになったのだ。

21世紀は、フリーランスが力を得ている時代であると思う。この10年ほどで「ノマド」といった言葉がすっかり世界中で定着した。欧州を中心に「デジタルノマドビザ」なるものを発行する国も出てきており、日本でも2024年に導入された。私の周囲にも幾人か、そうした人物がいる。彼ら彼女らは現代の遊牧民(ノマド)として、日本中どころか世界中どこへでもでかけてゆき、したたかにサバイブしている。彼らにとっての水源地(オアシス)はスタバではなく、「仕事」である。日々、生業のために切実に暮らしている。そうして生き残ってきたノマドたちをつぶさに観察してみると、この書に書かれていることと符合する点が多いと感じる。

なお、本書は新潟と浅からぬ関係がある。著者である世阿弥は、現在の新潟(越後国)生まれの人物ではないのだが、佐渡島(旧佐渡国)に配流されたことがある。

また、この本は長らく秘匿されてきたものだ。世に出てくるきっかけのひとつとなったのは、ひとりの新潟人の存在があった。

これから書くのは、その本の話であり、家の近くの浜からも見える島の話であり、そして私たちが世阿弥を読めるようにしてくれた、わが街の独学者の話である。

「喝采で食べる者」のための手引書

世阿弥の時代の能は、いまのように国に守られた静謐な芸術、あるいは伝統芸能ではなかった。もとは猿楽と呼ばれる芸能から発展するかたちで生まれたものだ。猿楽、やがて能を演じる一座は後援者を奪い合い、寺社の祭礼の場を取り合い、その場に居合わせた客の機嫌を取らねばならなかった。不入りが続けば飢える。世阿弥はそういう世界に向けて書いた。そして全編を貫く比喩が「花」、すなわち観客を身を乗り出させる何かである。

最初の警告は、若くして成功した者に向けられている。二十四、五歳の役者は方々で褒めそやされ、芸を極めたと思い込みかねない。だが、そうではない。

「この比の花は、まことの花にはあらず。ただ時分の花なり」

それは若さと物珍しさが咲かせた、一時の花にすぎない。これを「まことの花」と取り違えた者は、借り物の花が散り始めるちょうどそのときに、成長を止めてしまう。

次の一節は、企画を持ち込む前にいつも思い出すようになった。

「花と、面白きと、めづらしきと、これ三つは同じ心なり」

人は新しさに心を動かされる。とはいえ、奇をてらえという話ではない。同じ芸でも、時と見せ方を変えれば新鮮に映る、ということだ。これと対になるのが、「住する所なきを、まづ花と知るべし」という言葉である。型は持て、しかしそこに安住するな。

この本でいちばん有名な言葉は「秘すれば花」だろう。日本的な奥ゆかしさの礼賛として読まれることが多いが、文脈に置き直すとずっと実利的だ。驚きは、観客が予想していないからこそ効く。手の内を見せれば効果は消える。説明しすぎて通らなかった企画書を一度でも持ったことのある人なら、膝を打つはずである。

予想を(良い意味で)裏切るからこそ、人の心は動くのだ。じっさい、手応えのあったキャッチコピーや記事、企画書は、まさしくこれに当てはまっていた実感がある。

「花」と「面白き」と「めづらしき」は、同じ一つの心である。これはおそらく、AIの普及によってますます価値を増す考え方だと思う。AIの性能もプロンプトの書き方もどんどん進化してゆくのだろうが、最後のひと押しには、この一つの心が必要になるはずだ。

世阿弥は運についても率直だ。

「時の間にも、男時・女時とてあるべし」

わずかな時間のうちにも、運が向く時(男時)と向かない時(女時)がある。女時には無理に勝ちにいかず、力を蓄えて男時を待て。仕事が予測のつかない波でやってくるフリーランスにとって、これほど慰めになる言葉を私は知らない。

そして、そのすべての底には、身も蓋もない商売の真実がある。

「この芸とは、衆人愛敬をもて、一座建立の寿福とせり」

芸とは多くの人に愛されるためのものであり、その愛こそが一座を生かす。目の肥えた都の客と田舎の客とでは芸の出し方を変えよ、とまで世阿弥は書いている。文化で生計を立てることについて、これほど正直な文章を私は他に知らない。

美少年と、流された老人

「時分の花」への警告は、書き手が誰かを知ると、いっそう重みを増す。1370年代、藤若という十二歳ほどの少年が、父・観阿弥とともに京の今熊野で舞台に立った。客席には若き将軍・足利義満がいた。義満はたちまち心を奪われ、のちの世阿弥となるこの少年を寵愛するようになる。

藤若がたいへんな美少年だったことは、当代随一の教養人の証言でわかる。関白にして連歌の大家でもあった二条良基が、少年の容姿と立ち居振る舞い、さらには蹴鞠や連歌の才までを書状で絶賛しているのだ。その熱の入りようは、いま読んでもファンレターのようである。もっとも、皆が魅了されたわけではない。ある公家は日記『後愚昧記』に、祇園祭の見物で将軍が卑しい猿楽者の子を自分の桟敷に同席させたことを、苦々しく書き留めている。

つまり世阿弥は、時分の花というものを、誰よりも身近に知っていた人なのだ。咲くのも見たし、散るのも見た。後継者に「若い頃の賞賛を信じるな」と説くとき、彼は説教をしているのではない。思い出しているのである。

晩年はさらに過酷だった。1434年、七十二歳ほどの世阿弥は、のちの将軍・足利義教の不興を買い、新潟の沖に浮かぶ佐渡へ流される。島で彼は『金島書』を書いた。配流の船旅と、島の社寺や風景を詠んだ小謡の小さな集である。読む者の胸を打つのは、その静けさだ。恨み言はほとんどなく、ただ、なお世界をじっと見つめる老人がいる。

世阿弥は『風姿花伝』の中で、五十二歳で亡くなる直前の父の最後の舞台を、「老骨に残りし花」と書き残している。老いた体になお花が残っていた、というのである。『金島書』を読むと、同じことを世阿弥自身に思わずにはいられない。

その後、佐渡は日本でも指折りの能の島になった。いまも三十余りの能舞台が残り、全国の能舞台の約三分の一が佐渡にあるとも言われる。その多くは村の神社に付属している。直接のきっかけは、江戸初期に佐渡奉行を務めた大久保長安が、能役者の家の出だったことだとされる。それでも島の人々は、「世阿弥が流された島」であることを、静かな誇りとしてきた。

筆者の父方の祖父と母方の祖母は、佐渡の生まれだ。それもあって、佐渡で過ごす時間は少なくなかった。薪能も何度か観たことがある。能には「幽玄」という有名な概念がある。幼い頃の私に、この難しい概念が理解できたはずもない。それでも、闇から浮かび上がる鬼の形相の能面を見たときは「あの世に連れて行かれるのではないか」と思ったし、もっと言えば、そこは「この世とあの世の境界線」のような空間だと感じたことを覚えている。謡の詞章はたしかに日本語なのに、まったく意味がわからない。登場人物が何者なのかもわかっていなかったのだから無理もない。だがそれ以上に、演出の荘厳さに、幼心に圧倒された。

いまの私が思う能の魅力を一文でまとめると、こうなる。

「美しさと一抹の不気味さ、そして『今、ここに在る』という刹那の感覚。これらを高度に融合した、究極の日本芸術」

この芸術を気軽に観られること。そして、その多くを島の人々自身が演じていること。佐渡で能を観ることは、日本の他の土地にはない、佐渡ならではの稀有な体験になるはずである。

秘められた花を見つけた男

世阿弥の死後五百年近く、彼の著作は、世に出回るという意味での「本」ではなかった。能の家の中で大切に写され、守られてきた文書だったのである。『風姿花伝』は、自らが説くことをそのまま実践していた。秘められた花だったのだ。

それが変わったのは1909年(明治42年)のことである。吉田東伍という学者が、世阿弥の伝書に校注を施し、『世阿弥十六部集』として刊行した。ある個人の蔵書から見つかった写本を、吉田が活字にしたのである。こうして『風姿花伝』も、そして『金島書』も、誰もが読めるものになった。佐渡の世阿弥は、歴史の記録の一行ではなくなり、本人の言葉で語りかけてくる存在になった。近代の能楽研究は、ほぼここから始まる。

吉田の仕事の重みは、その後の出来事でいっそう増した。翻刻の底本となった原本は、1923年の関東大震災で焼失してしまったのだ。いくつかの伝書については、吉田が活字に起こした本文こそが、いまや拠りどころとなる底本になっている。彼が箱を開けていなければ、その花は永遠に失われていたかもしれない。

私の心を動かすのは、吉田が何者だったかである。1864年、新潟市の東、いまの阿賀野市保田の山林農家に生まれた。のちに大鹿新田、いまの新潟市秋葉区大鹿の吉田家に婿養子に入る。学歴は小学校までで、あとはすべて独学だった。博覧強記の大天才であり、私が最も尊敬する人物の一人である。

彼の生涯の大仕事は、実は能ではない。日本の地名を網羅した『大日本地名辞書』を、ほぼ独力で編み上げたことである。歴史地理学者であり、辞書編纂者であり、漢詩人であり、そして近代能楽研究の祖でもある。吉田は一つの肩書きに収まることを拒んだ。私は自分のを、半ば冗談で「ハイパー百姓」と呼ぶことがあるが、彼こそが本物のハイパー百姓だった。

阿賀野市には吉田東伍記念博物館がある。展示の二本柱は、ふさわしいことに、地名辞書と世阿弥伝書の発見だ。最後にもう一本、糸がつながる。秋葉区大鹿に残る吉田の旧居では、いまも蔵書や原稿の調査が続いている。それを率いる研究者の一人が竹本幹夫氏であり、私がポケットに入れている角川ソフィア文庫版『風姿花伝』の訳注者でもある。

四十を過ぎた花

なお、これを書いている私は四十一になった。これについても世阿弥には言い分があり、しかもあまり愉快なものではない。

「上るは三十四五までのころ、下るは四十以来なり」

中世の寿命の短さを考えて、私は彼の数字に十年ほど足して読むことにしている。それでも、言わんとすることは変わらない。

四十代半ばについての助言は、衰えと戦えではなく、「やり方を変えよ」というものだ。細かな役にいちいち手を出すのをやめ、自分に似合うものを、骨を折らずに演じよ。そして何より、よき脇の為手を持ち、花は脇に持たせて、自分はその傍らで控えめに舞え。そのあとに、私が二重線を引いた一節が来る。

「このころまで失せざらん花こそ、まことの花にてはあるべけれ」

若さと物珍しさが去ったあとに残る花だけが、持つに値する花なのだ。その条件として世阿弥が挙げるのは、「己を知ること」である。「知己」というのは、われわれ東洋の人間にとっては懐かしい概念だが、まったくもって簡単なことではない。己を知ることは他人を知ることよりもはるかに難しい。

四十歳というのは、三十路と違って妙な「一区切り」感がある。じっさい、平均寿命が三十代であった江戸時代では、隠居に入る歳だったともいわれる。しかし、当たり前だが現代ではまったくそんなことはない。少しも安穏としていられないし、これからが本当の人生の始まりという気もしてくる。人生は絶えることのない修行なのだという気もする。

四十路のいま「徒花(あだばな)で終わるまい」と今更決意したとしても、中身が伴わなければとっくに手遅れなのだろうと思う。

そうなる(または、すでにそうである)可能性も大いにある、という恐怖をかかえつつ、修行を続けていかねばならないと感じる。

旅のガイド:世阿弥の足跡をたどる

世阿弥ゆかりの地を歩くなら、拠点は佐渡、締めくくりは本土の阿賀野市だ。佐渡は1泊2日あれば主要地を回れる。能の季節である4〜10月、とくに演能が集中する6月がベストシーズンになる。

阿賀野の吉田東伍記念館は直接、能に関係する施設ではないが、ぜひ訪れていただきたい。車がないとハードルは高いのが正直なところだが。

基本情報

  • 佐渡への渡り方:新潟港から両津港へ、ジェットフォイルで約1時間5分、カーフェリーで約2時間30分。ジェットフォイルは要予約。夏休みや花の時期はフェリーの2等も満席になりうるので、早めの予約が安心。
  • 東京から:上越新幹線で新潟まで約2時間。新潟駅から新潟港(佐渡汽船)まではバスで約15分。
  • 島内の移動:ゆかりの地は島の中央部(国仲平野)に点在する。路線バスもあるが本数が限られるため、両津港でレンタカーを借りるのが効率的。

1. 正法寺(佐渡市泉)

【編集部イチオシ】世阿弥が配所として暮らしたと伝わる曹洞宗の寺。境内には世阿弥が腰を下ろしたという「腰掛石」が残る。寺宝の「神事面べしみ」は、干ばつの年に世阿弥がこれを着けて舞うと大雨が降ったと伝わる鬼面で、鎌倉後期の作とされる新潟県の文化財だ。江戸期の本堂や鐘楼など、境内の建物の多くが国の登録有形文化財になっている。

  • ヒント:神事面は通常非公開。6月の「正法寺ろうそく能」の際に一般公開される。蝋燭の灯りだけで舞われる能は、それ自体が旅の目的になる。
  • 住所:佐渡市泉甲504
  • アクセス:両津港からバス約30分「泉」下車、徒歩3分。車で約13km。駐車場10台(無料)
  • 問い合わせ:0259-63-2032

2. 大膳神社能舞台(佐渡市竹田)

佐渡に現存する最古と伝わる能舞台。1846年再建の茅葺き寄棟造りで、杉木立の中に静かに建つ。背景の鏡板には、定番の老松に加えて赤い日輪が描かれており、これは大膳神社だけの意匠とされる。のどかな田園風景から「佐渡飛鳥」と呼ばれる一帯にある。

  • ヒント:4月18日の祭礼で奉納能、6月には薪能と鷺流狂言が上演される。鷺流狂言は全国で3か所にしか残らない流派で、佐渡はその一つ。
  • 住所:佐渡市竹田562-1
  • アクセス:両津港から車で約30分。バスなら「竹田橋」下車、徒歩15分。境内は自由に見学できる

3. 佐渡歴史伝説館(佐渡市真野)

佐渡に流された人々の物語を、等身大のロボット人形で再現する博物館。世阿弥の「雨乞いの舞」の場面もあり、順徳上皇や日蓮とあわせて、配流の島・佐渡の全体像をつかむのに向いている。人間国宝・佐々木象堂の記念館を併設。雨の日の行き先としても重宝する。

  • 住所:佐渡市真野655
  • 営業時間:4〜11月 8:30〜17:00、12〜3月 9:00〜16:30
  • 料金:大人800円
  • アクセス:両津港から車で約30分
  • 問い合わせ:0259-55-2525
  • 注意:冬季は営業形態が変わる場合があるので、事前に電話で確認を

4. 椎崎諏訪神社能舞台と天領佐渡両津薪能(佐渡市原黒)

佐渡で能を「観る」なら、まずここ。加茂湖を望む神社の能舞台で、春から秋にかけて月に一度ほど薪能が催される。宝生流の佐渡当主・本間家の指導を受けた、島の人々による能だ。かがり火に照らされた舞台は、世阿弥が知っていたであろう野外の芸能の空気を今に伝える。

  • 2026年の公演:5月5日、6月13日、9月22日、10月12日(特別公演)。いずれも19:30開演
  • 料金:運営協力金2,500円(特別公演は4,000円)。予約不要
  • アクセス:両津港から車で約5分
  • ヒント:雨天時は金井能楽堂に会場が変わることがある。フラッシュ撮影と動画撮影は禁止
  • 問い合わせ:天領佐渡両津薪能実行委員会 0259-23-3300

5. 世阿弥の道(松ヶ崎〜笠取峠)

佐渡に着いた世阿弥が、配所へ向かって越えたとされる峠道。上陸地とされる小佐渡東岸の松ヶ崎から、笠取峠を越えて国仲平野へ下る。『金島書』の道行きを、自分の足で追体験できる。秋の紅葉の時期は、小佐渡の山並みが見事だ。

  • ヒント:観光地として整備された遊歩道ではない。歩く場合は、事前に地元の観光案内所で道の状態を確認すること。車で峠を越えるだけでも、世阿弥の旅程の距離感はつかめる
  • アクセス:両津港から車で松ヶ崎方面へ約40分(目安)

番外:吉田東伍記念博物館(阿賀野市保田)

佐渡から本土に戻ったら、旅の締めくくりにぜひ。世阿弥の伝書を1909年に世に出した独学の歴史地理学者、吉田東伍の生誕地に建つ博物館だ。展示の二本柱は、独力で13年かけて編んだ『大日本地名辞書』と、世阿弥秘伝書の発見。近年は、東伍が論文で触れた貞観地震についての展示も加わった。佐渡で世阿弥の晩年に触れたあとに訪れると、五百年の空白を埋めた一人の人間の仕事が、ぐっと身近に感じられる。

  • 住所:阿賀野市保田1725-1
  • 営業時間:9:30〜17:00(入館は16:30まで)
  • 休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、祝日の翌日(土日は開館)、12月28日〜1月4日
  • 料金:一般300円、小・中学生150円
  • アクセス:JR磐越西線五泉駅またはJR羽越本線水原駅からバスで約20分。磐越自動車道安田ICから車で約5分
  • 問い合わせ:0250-68-1200

モデルコース(佐渡1泊2日+本土半日)

  1. 1日目:両津港着 → 正法寺 → 大膳神社 → 佐渡歴史伝説館 → 夜は両津薪能(開催日に合わせて)
  2. 2日目:世阿弥の道を車で越える → 両津港から新潟港へ
  3. 3日目:新潟から阿賀野市の吉田東伍記念博物館へ

掲載情報は2026年10月時点のもの。営業時間や公演日程は変わることがあるため、出発前に各施設へ確認を。

旅の情報出典:新潟県観光協会 にいがた観光ナビ(吉田東伍記念博物館、大膳神社、佐渡歴史伝説館、天領佐渡両津薪能)、ニッポン旅マガジン 正法寺、北陸信越運輸局、北陸地方整備局 世阿弥の

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